猫がまた餌を頂戴といって朝6時前に起こす。 戦前の軽井沢に来る避暑客の自治組織として軽井沢避暑団なる集まりがあった。 軽井沢避暑団の最後の団長となったのは、米国人ウィリアム・ボーリスである。彼は1929年(昭和4年)と1940(昭和15)年に団長となった。ほぼ一年ごとに団長が改選されているが、二回選ばれたのはダニエル・ノーマン*1とボーリスだけである。 このボーリスは、厳密にいえば牧師の資格を持っていない宣教師だった。それでも軽井沢に於ける在日宣教師会議の議長に選ばれている。伝道に熱心だったのが認められたのだろう。 多くの宣教師が帰国する中で、彼は日本にとどまることを選んだ。そのためにどうすればよいか・・・日本に帰化し、日本人になることである。ここで昭和16年1月、ボーリスは滋賀県近江八幡の八幡神社で日本帰化の宣誓式をし、妻の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と名乗った(米から来て
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