タグ

2016年1月9日のブックマーク (3件)

  • 03. メルロ=ポンティ『知覚の現象学』を読む(前半のみ) | 山竹伸二の心理学サイト

    ■メニュー 精神分析研究 ・精神分析の基礎(2) ・精神分析を読む(15) ・『精神分析入門』完全読解(2) ・フロイト「自己を語る」(6) 精神病理学と心理療法研究 ・神経症・精神病を知るために(4) ・心理的治療を知るために(6) 哲学研究 ・哲学書を読むために(5) オリジナル論文・著作など ・発表著作と論文(4) ・書評とエッセイ(17) ・インタビュー(1) 著者プロフィール 公開講座のお知らせ 関連リンク集 以下の内容は、『知覚の現象学』の前半のみをレジュメにしたものであるが、少し内容が煩雑であるため、レジュメの後に解説をつけておいた。フッサールの現象学に大きな影響を受けたメルロ=ポンティの哲学は、優れた身体の現象学として極めて高い水準に達している。『知覚の現象学』における身体の分析は、まさにこのの白眉であろう。しかし、メルロ=ポンティの哲学的立場を最も明確に示している「序文

    tomoa_i
    tomoa_i 2016/01/09
    例えばヒステリー症患者は演技をしているわけではなく自分自身を偽っている。また他者と語り合うものを失うことで共存を拒否し、生きることを拒否している。知的な努力や意志の力ではなく、身体が他者や過去に開くと
  • Compulsion Juvenile Scene.mpg

    tomoa_i
    tomoa_i 2016/01/09
    I liked a @YouTube video Compulsion Juvenile Scene.mpg
  • ポーの法則 - Wikipedia

    「皮肉で言っている」という作者の意図が明確に示されていない場合、「気でやっている過激な主張」と「ネタでやっているトンデモ」の区別が難しいことを示す[2]。 主に2010年代以降の英語圏のWeb2.0界隈において、創造論などの原理主義や似非科学などを批判するブロガーの間で使われている用語である。 元々は皮肉として「ネタでやっているトンデモ」の書き込みをする人々(ポーら)の間で使われていた用語だが、後に、原理主義者や似非科学信奉者の書き込みには「ネタ」であることを疑うレベルで過激なものがあることを示すようになった。

    tomoa_i
    tomoa_i 2016/01/09
    おら。 "ユーモアの明白な表出が無い限り、誰かが本気だと誤解しない形の過激主義または原理主義のパロディを作るのは不可能である"