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ほぼ日に関するtomomi_keepのブックマーク (35)

  • Lesson424 伝えたいことが生まれる瞬間 ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson424 伝えたいことが生まれる瞬間 自分が言いたいことと、 相手の期待はズレている。 常に! これをどうすればいいんだろう? 先日もあるセミナーで大学教授から、 「根思想、 つまり、自分の腹にある当の思いに 正直であろうとすることと 相手にとっての意味、 つまり、相手の願いや期待を理解して、 そこに意味ある発言をしていこうとすることは、 矛盾している。 常に!!! この矛盾をどうすればいいのか?」 という質問を受けた。 また社会人向けの講座では、 ある女性会社員に、 「聞き上手であろうとして、 たとえば相手と自分の映画趣味が くいちがっても否定せず、 それはなぜ? どんなところが好きなの? など、どんどん質問をしていって、 相手の言い分を聞いてあげたら、 相手は満足していったけど、 どんどんこっちが苦しくなってきた。 相手理解にも、 こっちが楽しくなければ限界がある。 こ

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson421 弱さの品格 「強くなれ!」 と言われても、 弱い人間、 そんなにすぐにすぐ 強くなれるものでもない。 そんなとき必要なのは、 弱いなりにも品のあるふるまい をすることではないだろうか。 弱さの品ってなんだろうか? 「人前で弱音は吐くな」「強くあれ」 と育ってきた大人からすると、 いまの若い人は、すぐに弱音もはくし、 ちょっとのことでへこむし、 いつまでもくよくよ悩むし、 ずいぶん、ひ弱だなあ、と思うかもしれない。 私も以前はそう思っていた。 そんな弱いことでどうする、と。 けれど、いま、大学で授業を持っていて、 不思議に学生の弱さがいやではない。 むしろ、弱さにひかれている自分すらいる。 品のようなものを感じるのだ。 たとえば、表現の授業で、 印象に残るスピーチをしたと、 学生たちからチーム代表に選ばれるのも、 決して主張の強い、雄弁な学生ばかりではない。 ときに、消え

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室「選択の後、つらくなったっていい」

    Lesson419 選択の後、つらくなったっていい 人生の大きな選択をしたあと、 しばらくたって、 だれでも一度は不安がよぎる。 「自分の選択は正しかったのだろうか。」 そのときに、 「今がつらいから自分は選択を誤った」 「今が楽しいから自分は正しかった」 と考える人がいる。 これはいいことなんだろうか? 私は、選択というものは、 決めるときより、その後を生きる方が何倍もしんどい と思っている。 前に進む選択をした人に、 むしろ、つらい時期がくるのは当然ではないか。 だから、つらくなったっていい。 その選択はまちがっていない、 ということを、きょうは改めて伝えたいと思う。 スポーツ選手の引退にしても、 芸能人の離婚にしても、 身近な人の退職や、起業にしても、 一大決心をした、そのときに、 マスコミも、人も、光をあてる。 ヒーローにするときもある。 でも、その後の地道な取り組みは、 なかなか

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson416 最後の旅 俳優の緒形拳さんが亡くなった。 そして、峰岸徹さんも。 この二人に共通することは、 あまりに「唐突な死」だったことだ。 元気な印象しかない。 闘病のイメージも、 弱っていかれる印象もまるでなく、 俳優として第一線で活躍している姿だけがあって、 一転。まったく唐突に死が知らされた。 その間がない。 どうしてないかといったら‥‥、 そう考えて、はっ、とした。 私たちは、 「死を宣告されてもなお、選ばなければならない」 自分が死に至る病であることを、 まわりの人に知らせるか、知らせないか? 自分で選ばなければいけないのだ。 自分だって、死ぬと言われたら、 つらくて、受けとめられないかもしれないのに、 まわりの人にどうするかなんて 考える余裕なんかないかもしれないのに、 それでもいやおうなしに選択しなければならない。 なんて大変なんだろう。 自分が死ぬと分かった瞬間か

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 適切な大きさの問題さえ生まれれば。

    そうですね。 糸井さんと梅田さんが 会ったことがないというので、 一度会っておいたほうがいいんじゃないですかと。 まぁ、それだけのことなんですよね。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 大好きな「言葉」というもの。

    僕の一番親しい仲畑貴志というコピーライターが サン・アドという会社にいたんです。 そこにいた品田正平さんという とても人に教えることもじょうずな、 人格も立派なコピーライターのかたが 仲畑くんのところに 「これを読んで書き写すと文章が上手になるぞ」 とチャペックの「園芸家12ヵ月」を ポンと置いておいてくれたらしいんです。 文章表現などを学ぶんだったらこれだぞと、 品田さんが言ったということの意味が ほんとうによくわかるなんです。 うんうん。 チャペックには、「山椒魚戦争」とか たくさん長編もありますけれども、 短い、ほんと断片のような文章に すごくいいのがたくさんあるんです。 短い言葉って短い分だけダラダラ書けないから、 ひとつひとつの言葉が持っている比重が高い。 チャペックって、新聞でずっと コラムを書いていたんです。 だから、すべてをびっしり書けないメディアで 書き続けたことが大き

    tomomi_keep
    tomomi_keep 2008/09/23
    アイヅチストか。いいな
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 大好きな「言葉」というもの。

    この石川さんという人は、 まだ30歳くらいなんですが、 高校生のときに初めてインド旅行をして、 それ以来、北極点から南極点の旅など あらゆる場所を旅しています。 エベレスト、チョモランマも登っていますし、 各大陸の一番高い山は全部登っています。 それと同時にカメラマンでもあるんです。 石川君から冒険の話を聞いていて 「そのときどうだったの?」と言っても、 「そのときはこうでしたね」というのが きれいなんですよ。 さぁ、おれのおもしろい話を聞いてください という感じがひとつもないんですね。 あぁ、この人は表現の核の部分を しっかりとつかんでいるんだと思いました。 この人にいろんなことを教わりたくなって、 一緒に上野公園に写真を撮りにいったりしたんです。

    tomomi_keep
    tomomi_keep 2008/09/23
    飲み屋のママさん
  • ここはどこ? わたしはだれ? - ダーリンコラム

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

    Lesson411 優しさはどこからくるか 自分には「優しさ」がないんだろうか。 私は度々その不安につかまれてきた。 「優しさ」は人間最上級の資質のように言われるが、 自分にはもともと、それがあんまり備わっていない のではないだろうか。 「自己チュウ」で「冷血」な人間なんだろうか、と。 優しさはどこからくるか? 「生まれもった性格」 と思っている人は多いのではないか。 私も長いこと、そんなふうに思って 苦しんでいた節がある。 うちの家族は、 優しさのかたまりのような母と姉、 そうではない父と私、に分けられる。 母と姉は、きわめて優しい。 とくにお年寄りや病気になった人など 弱い立場にいる人へ思いやりが深く、 自分を犠牲にしても人のためにつくす。 そんな2人といると、 自分の性格の悪さがどうしても目立ってしまう。 自分はどうして、 母や姉のようになれないんだろう。 父に似たのだ。 父について

    tomomi_keep
    tomomi_keep 2008/09/13
    "教養とは、相手の気持ちがわかることである" 養老孟司
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - とんでもない鉄道模型とすごいテレビ電話の話。

    実業家の原丈人さんと再会して糸井重里が言いました。 「原丈人さんのことを、どう伝えればいいのか。 知れば知るほど、苦笑いしたくなります。 どこをつついても、愉快な魔物が飛びだしてくる。 ぜんぶつくり話だとしても、それはそれですごい才能だ。 と、ぼくは、人に小声で言いましたよ。 でも、どうやら、ぜんぶ事実なんですよねぇ。 桁外れです、そういう人みたいです。とんでもないです」 バングラデシュで取り組む、医療と教育の改善事業。 アフリカで解決しようとしている、糧・飢餓問題。 ひさしぶりにお会いした原さんは 変わらぬ静かな情熱で、ひとつひとつのプロジェクトを 着実に、実現させようとしていました。 しかし、この人のスケールや発想を、 まるごと理解している人は、どれくらいいるのでしょう? いつも、いちいち「とんでもない」のです。 これからしばらくのあいだ、じっくり、たっぷり、 ふたりの対話を、お届

    ほぼ日刊イトイ新聞 - とんでもない鉄道模型とすごいテレビ電話の話。
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 原丈人さんと初対面。

    原丈人さんのを探すと、 『21世紀の国富論』(平凡社)というが見つかります。 そのの帯には 「シリコンバレーで 数々の企業を成功させてきた 実業家が語る日の未来」 と記されています。 アメリカで大きな成功をおさめた日人らしい。 そして、いくつもの企業を育てるための後押しをする人? 正直言って、ぼくには縁遠い人だと思っていました。 しかし、を読むとおもしろい。 ひとつは底を流れる「怒り」があること。 「怒り」を売り物にする人はいっぱいいるけれど、 この人の「怒り」は、静かで気だと思えたのです。 もうひとつは、「希望」を軸にして行動していること。 解決策が必ずあるものだと信じきって動いている。 これが、とても気持ちよかったのです。 アメリカで成功した人のなかには、 こんな人もいるんだ‥‥と、興味はあったのです。 でも、その人と突然会うことになるとは、 思ってもいませんでした。 で

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 大好きな「言葉」というもの。

    そうです。 で、「こんな出してるんだ」と思って 手に取ったのが「最後の親鸞」ですね。 で、読んでみたらビックリ。 「あほいいぞ」って書いてあるんです。 僕らが学生のあいだ ずっと考えていた知的であることを、 無価値にしてしまうようなことが書いてあったんです。 学生運動のことをひとりで勝手に引きずっていた 僕にとっては、目を覆って寝ちゃいたいくらい、 このを読んだときつらかったんですね。 それこそ「うわぁ、道変えなきゃ」と思うくらいです。 を読んでこんなに びっくりさせられたことはなかった。 青春のビックリしたっていうのは やっぱりこのですね。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 男女が同居するということ。

    先日、川上弘美さんと、対談ダブルヘッダーという、 合計3時間を超える、ずいぶん珍しいことをしました。 「ほぼ日」に掲載する、『MOTHER』についての雑談と、 「文藝」(河出書房)に掲載する、文学についての会話。 そのどちらにも掲載しきれなかった部分が、 なんだかおもしろかったので、短期連載で、まず、ご紹介! 『MOTHER』対談を待ちながら、たのしんでみてください。 結婚生活は極楽なの? うなずくだけの関係が心地よい? 「男女がいっしょに住むこと」についてのよもやま話です。

  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム

    <あなたは、こんがらがっている> 自分のこととして考えると、よくわかるのだけれど、 だいたい毎日、こんがらがっているものだ。 「こんがらがっている」ということばは、 ごぞんじのとおり、糸などが混乱して、 道筋がわからなくなっている状態のことだ。 一方の先っぽは、案外見えていたりする。 それが、どこをどう通って、どこに向かっているのか、 まったくわからない状態になっている。 もっとも大きいヒントは、 「もともと糸は一です」ということだけだ。 気持ちが急いているときには、 あちこちをいじくり回して、混乱に輪をかけてしまう。 目で見ても、こんがらがった糸をほぐす方法は、 すぐには見つからないし、 おそらく、それを手早くほぐすような 「コツ」もないはずだ。 「こんがらがっている」状態というのは、 そのつど、ちがうからだ。 しかし、糸のたとえで言うと、 あらゆるこんがらがった糸というのは、 根気よ

  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム

    <大事にするものがほしい> 大事にするものがほしい。 なんか、いまって、そういうことを、 みんなが無意識で思っているのではないだろうか。 つい最近、ぼく自身が小さなアクセサリーを手に入れて、 それがうれしくてたまらないのだ。 あきっぽい人間だし、 ものを大事にすることが、あんまり得意でないので、 いつか「ああ、あれね、どこかにしまってあるよ」なんて、 しらっと言うのかもしれないけれど、 いまは、そのアクセサリーを持ったことが うれしくてたまらない。 いつごろだったかも忘れたけれど、 なにかので、アメリカの先住民たちは、 「自分の石」を持っていて、 それをとても大事にしているのだというような話を読んだ。 その石というものを、それぞれの人が どういうふうに手に入れるのだろうか、とか、 石の材質やカタチに、なにか条件はあるのだろうかとか、 人が死んだら、石はどうなるのだろうか、とか、 知りた

  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム - こだわりは、ゴメン

    <こだわりは、ゴメン> 嫌いだ、と強くいうのもおかしいので、 自分からはできるだけ言わないようにしているのが、 「こだわり」ということばだ。 応援してくれるような意味で、 「さすがに、こだわってますねぇ」などと言われたとき、 とっさに、「いや、そんなことないです!」とか、 つい言ってしまうこともある。 相手の方は、「だからいい」んですよねと、 好意でこのことばを使ってくださってるので、 わざわざ否定するのも失礼だと思うのだけれど、 ああそのほめられ方はアブナイ、という気がするので、 やっぱり否定しておきたくなる。 「こだわり」を持つんじゃない、とか、 「こだわり」すぎなんだよ、とか、 そういうわるいこととして使われていたことばが、 いつのまにか、逆にほめことばになってしまった。 おなじように、 「頑固(がんこ)」ということばもそうだ。 頑迷だとか強情だとか因業だとかの意味が強かったのに、

  • ほぼ日刊イトイ新聞-ダーリンコラム <スゴイ人よ、スゴクナイ人よ>

    <スゴイ人よ、スゴクナイ人よ> スゴイ人よ。 つまりは、あなたよ。 スゴイ人は、 やがてスゴクナイ人が、 すぐうしろにいることを知る。 スゴイ人は、 つまり、あなたは、 やがてスゴクナイ人が すぐ、あなたを抜きさることを知る。 永遠に、 ありえないと思っていたことが、 ある。 それを、知ることになる。 その日は、いつでも、すぐにくる。 スゴクナイ人よ。 つまりは、あなたよ。 スゴイ人は、 あなたのずっと前にいる。 スゴクナイ人、つまりあなたの目は、 その背中を見ている。 やがてスゴクナイ人は、 スゴイ人を抜いてしまったことを知る。 スゴイ人は、たぶんあなたの背中を見る。 スゴクナイ人は、 つまり、あなたは、 スゴイ人になってはならない。 スゴクナイ人のままで、行くがいい。 ほんとうにスゴイ人は、 たいていは、あなたのように、 スゴクナイ人でいられる人だ。