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2017年11月3日のブックマーク (3件)

  • サーバレスアーキテクチャによる時系列データベースの構築と監視 / Serverlessconf Tokyo 2017

    サーバレスアーキテクチャによる時系列データベースの構築と監視

    サーバレスアーキテクチャによる時系列データベースの構築と監視 / Serverlessconf Tokyo 2017
    tomomii
    tomomii 2017/11/03
    「監視とは平常状態を知り定義すること」その先に技術者がメトリックのデータからなんらかのコンテキストを発見できたり未知の作用に備えられるというような新たな有益性に繋がるということなのかな期待
  • 「プログラミングの常識」を時々見直す必要性について|Rui Ueyama

    自分の中のプログラミングの常識というものは、ときどき現実のハードウェアに合わせて調節しないといけない。ハードウェアが進歩し続けているので、コンピュータで簡単にできることと相対的に難しいことのバランスが変化し続けているからだ。ここでは特にストレージにフォーカスして書こうと思う。 昔はメモリが相対的にとても貴重な資源だったので多くのプログラマがメモリを節約することに血道を上げていた。例えばWindowsの初期の頃に設計されたデータ構造には、メモリをバイト単位ででもいいから節約したいという意図の痕跡がいまでも多く見受けられる。DRAMの次に速い記憶装置はHDDだったので、メモリが足りなくなればHDDにデータを保存せざるを得ないのだが、DRAMとHDDのランダムアクセスの速度差は、机の上のの開いているページを見るのと、そのAmazonで注文して到着するのを待つのと同じくらいのスケールで違うの

    「プログラミングの常識」を時々見直す必要性について|Rui Ueyama
  • ニールス・ボーア - Wikipedia

    ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(デンマーク語: Niels Henrik David Bohr[1]、1885年10月7日 - 1962年11月18日)は、デンマークの理論物理学者[2]。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。王立協会外国人会員。ユダヤ人。 生涯[編集] ヨーロッパ時代[編集] コペンハーゲンに生まれ、1903年にコペンハーゲン大学に入学。1911年にイギリスへ留学し、キャヴェンディッシュ研究所にてジョゼフ・ジョン・トムソンの下で研究を行った後、1911年にマンチェスター大学のアーネスト・ラザフォードの元で原子模型の研究に着手した。 その後、コペンハーゲン大学に戻り、ラザフォードの原子模型の欠点をマックス・プランクの量子仮説を用いて解消し、1913年にボーアの原子模型を確立した。 1921年にコペンハーゲンに理論物理学研究所(

    ニールス・ボーア - Wikipedia
    tomomii
    tomomii 2017/11/03
    "論文原稿はいつも徹底的に書き直し完璧を目指した"“口述筆記で作成した講演会の原稿をいつも事前に準備していたが、いざ登壇すると原稿を一切無視した講演を行い仲間を仰天させた”