2010年08月22日10:00 カテゴリ本科学/文化 リバタリアンとしての福沢諭吉 雇用の流動化が必要だというと、「人々の不安が増す」とか「モチベーションが下がって生産性が落ちる」いった批判がよくある。たしかに会社という繭にくるんで、すべての人をやさしく守ることができれば理想だろう。戦後の一時期には、それが実現したと錯覚された時代もあった。しかし残念ながら、もはやそういうユートピアは失われたのだ。 今われわれが直面しているのは、福沢諭吉以来の「個の自立」という問題である。『福翁自伝』などを読むと、100年以上前の本なのに不思議に単純明快でわかりやすい。本書は、その「新しさ」をハイエクなどオーストリア学派のリバタリアンに重ねて解釈したものだ(絶版)。 ハイエクは福沢の死んだ年に生まれたので、福沢が影響を受けるはずはないが、両者には共通点がある。それは若いとき、ヒュームやミルなどの古典的自由