単なる本からのメモだが。 「レズビアンが"筋金入り"である」ってのは、どういうことだ? 仕方ないから私、その子の頭を抱いて撫でてあげたわよ、よしよしってね。その頃にはその子は私の背中にこう手を回してね、撫でてたの。そうするとそのうちにね、私だんだん変な気になってきたの。体がなんだかこう火照ってるみたいでね。だってさ、絵から切り抜いたみたいなきれいな女の子と二人でベッドで抱きあっていて、その子が私の背中を撫でまわしていて、その撫で方たるやものすごく官能的なんだもの。亭主なんてもう足もとにも及ばないくらいなの。ひと撫でされるごとに体のたがが少しずつ外れてゆくのがわかるのよ。それくらいすごいの。気がついたら彼女私のブラウス脱がせて、私のブラ取って、私のおっぱいを撫でてるのよ。それで私やっとわかったのよ、この子筋金入りのレズビアンなんだって。 村上春樹『ノルウェイの森(下)』(講談社文庫)pp.
「性別をこえるほどの恋って憧れるけどなあ……」 (『くちびるためいきさくらいろ』(森永みるく、一迅社)p110より) これってこの漫画に限らずノンケさんがよく使う言い回しですけど*1、見るたびに複雑な気分になりますな。それじゃ何かい、国際結婚はどれも「国境をこえるほどの恋」だから、国内結婚より無条件で素晴らしいのかい*2。あるいは、健常者と障害者の間の恋は、「障害を乗りこえるほどの恋」だから、健常者同士の恋より立派だとでも言うのかい。違うでしょ。そういうもんじゃないでしょ。 人がただ好きな人と一緒にいようとしているのを、「そんな恋には支障があるから、踏みとどまるのが当然*3」と色眼鏡で見た上で、「その支障を乗りこえてるんだから、なんかフツーより格が上に決まっている!」とステレオタイプ化するのって、結局はとても失礼なことだと思います。そもそも同性間の恋愛でいちばんの障害となるのは、そういう呑
一部の狂信的な百合好きヘテロさんが「百合関係こそ至高! 男女関係はキモイ!」みたいな極論に走るのって、結局は自分の中のヘテヘテな価値観を動かしたくないだけなんじゃないでしょうか。異文化が全て良く見え、自分の文化が全て悪く見えるというのは、うまく異文化受容ができてない段階で起こりがちなことですからね。要するに、鹿鳴館時代の明治人が必死で洋装してダンスパーチーに興じながら「嗚呼、わたくしは如何して西洋人に生まれて来なかつたのだらう」と嘆息してるようなもんなんじゃないでしょうか、あれは。 んで、鹿鳴館で一生懸命パーチーしていた人たちが別に自分の内部の日本人性を全否定していたのではないように、狂信的な百合好きヘテロ男子さんとかも、別に己のヘテロセクシュアリティーや男性性を全否定してるわけではない*1んじゃないかな、という気がしますね。むしろその逆で、そのような自文化を別の価値観の枠組みから見直すこ
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