ブックマーク / huyukiitoichi.hatenadiary.jp (6)

  • 人類のほぼ全てが視力を失った終末世界──『トリフィド時代―食人植物の恐怖』 - 基本読書

    トリフィド時代 (人植物の恐怖)【新訳版】 (創元SF文庫) 作者: ジョン・ウィンダム,中村融出版社/メーカー: 東京創元社発売日: 2018/07/30メディア: 文庫この商品を含むブログ (1件) を見る英国SF界にその名を轟かすジョン・ウィンダムの代表作『トリフィド時代』の新訳版が出た。僕も三足の動く植物がまあなんかスゲーんだよ!! という雑な評判は知っていたのだが読むのは今回がはじめて。第二次世界大戦の爪痕が色濃く残る1951年に刊行された作品だけれども、今読んでもめちゃくちゃおもしろい。 基的には終末世界をわずかに生き残った人間がロードームービー的に旅をしていくのだが、その世界には人間をべる凶悪な植物〈トリフィド〉がいて──と、今でいうと終末ゾンビ物のゾンビがトリフィドに入れ替わったような感じか(内容はずいぶん違うが)。ゾンビだと「死」の象徴としての側面が強いし、手垢が

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    torakono
    torakono 2018/08/02
  • 人類史に刻み込むべき神シリーズ──『ランス10』 - 基本読書

    ランス10 出版社/メーカー: アリスソフト発売日: 2018/02/23メディア: DVD-ROMこの商品を含むブログ (1件) を見る発売されてから120時間以上プレイし続けてようやくクリアした……というか、”クリアしてしまった”。できることならば永遠に終わらないでほしかった。無限にこの世界で遊んでいたかった。しかし終わるからこそ、そんな気持ちも湧いてくる。 29年間最前線を突き抜けてきたゲーム・シリーズ ランスシリーズの完結作『ランス10』とそのシリーズは、まさにそんな気持ちを抱かせてくれた理想のシリーズ作品だ。平成の元年にはじまって、約30年間にわたって紡がれ続けてきたこの作品は、その年月の中で幾度も形を変えながらもその魂は失われず、”ランスシリーズのおもしろさ”を開拓し続けてきた。『ランス10』はその完結作にふさわしい、超ド級の傑作だ。エンディングをいったん観た今、これほどの楽し

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    torakono 2018/03/07
  • ピカチュウはなぜピカチュウなのか『オノマトペの謎――ピカチュウからモフモフまで』 - 基本読書

    オノマトペの謎――ピカチュウからモフモフまで (岩波科学ライブラリー) 作者: 窪薗晴夫出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2017/05/19メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (1件) を見るバクバクべるとかサクサク進むとか世の中には豊富なオノマトペが存在している。しかし、たとえばサにもクにもサクにも、どこにも速さをあらわす意味はこめられていないわけだから、速さをあらわす場合はメクメクでもマクマクでもなんでもいいのではないかという気がしないでもない。だが、マクマク進むといわれても「なんかこれじゃない……」感が多くの人にとってはするだろう。それはなぜなのか。 書『オノマトペの謎――ピカチュウからモフモフまで』は、そうしたオノマトペに関わる謎を解き明かす一冊である。たとえば記事タイトルにも使わしてもらった謎の一つ、「ピカチュウはなぜピカチュウなのか」というのにも明

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    torakono 2017/08/28
  • 簡素な台詞にのる物語的な重さについて - 基本読書

    『……見ていて、ジェシ』 上の簡素な台詞は『獣の奏者』という物語の終盤に出てくる。主人公であるエリンの台詞だ。僕はこの全4巻のそれなりに長い物語を通してこの台詞が一番好きだ。名言だと思う。しかし、この物語を読んだことがない人はこれがなぜ名言なのかわからないだろう。読んだことがある人なら、わかってくれるのではないか。「なぜ僕はこの簡単な台詞が一番好きなのか?」という説明を通して、台詞にのる物語的な重さについて考えてみたい。 一言でまとめてしまえばこの台詞が感動的で、読んだ時に涙が止まらなくなってしまったのは、これが今までの物語の重みを引き受けているからだ。まどか☆マギカでまどかを理由にほむらがループを繰り返したことによってまどかの力が増大してしまったように、物語のすべての糸が重なった最終点においてこの台詞は効力を発揮する。 そもそも名台詞というのは、それがどんなに単体で名言として、意味のとれ

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    torakono 2012/11/15
  • インプットとアウトプットについて - 基本読書

    メモ書き程度。ブログを書くようになって時間をそこにとられるようになる。だからを読む時間がその分減っていくかといえばそんなことはなかったという経験がある。むしろ僕の場合は、ブログを書くようになってからを読む量が増えた。それもたくさん書けば書くほどインプット出来る量も上がっていったのである。時間が有限であることを考えると不可思議かもしれないが別の比喩でたとえると納得がいく。 ようはあまりインプットしすぎると消化不良になるのである。もちろん容易くそうはならない。普通にご飯をべている分には「おなかいっぱいになった〜」で終わりだろう。いくら美味しいラーメンだからといって、5杯も6杯もべれるわけではない。しかし1杯ならべれる。2杯もなんとかなるかもしれない。しかし3杯目以降をべようと思ったら、いったん消化のプロセスを挟まなければべられるものではない。 消化にあたるのがまあ書くことであると

    インプットとアウトプットについて - 基本読書
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    torakono 2012/11/15
  • 新しい市場のつくりかた - 基本読書

    これはおもしろいiPhoneも、Kindleのような電子書籍事業も、Facebookも、つまるところ新しい市場を日は作ってこれなかったわけですが(もちろん国内向けは別として)それはなぜなのか、新しい市場を作るにはどうしたらいいのかを分析したになっています。それが何なのかといえば、任天堂で横井軍平さんが言っていた枯れた技術の水平思考ということになるのかなと思うんですが、これをちゃんとわかりやすく説明してくれているので良い。 ようは技術がいくら優れていてもたとえばテレビが5センチ薄くなった! と言われてもなんら嬉しくなくて、「5センチ薄くなったおかげで家の中でこんなことができるようになる!」という新しいライフスタイルの提案が必要だという話です。技術を発展させ、より技術力の高い物を作るのではなく「まったく新しい文化を開発する」ことこそが、新しい市場のつくりかたなのですな。 喩え話としておも

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    torakono 2012/11/15
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