ブックマーク / aristotles200.hatenablog.com (5)

  • 三行詩 第百十七章(述而第七②) - 四端録

    ○日曜日の午後、12月10日、マクド 子曰、斉一変、至於魯、魯一変、至於道。雍也二十四 孔夫子はいわれた、遥か昔、太公望呂尚が建国した斉は、政を仁徳により改めさえすれば魯のようになれるし、その周公旦が建国した魯は、仁徳により政を改めれば、古の周王朝のような先王の道を世の中に開くことが出来るだろう。 「孔夫子の教えとは、つまるところ先王の教えに他ならない」 #論語 ○月曜日の朝、通勤 子曰、觚不觚、觚哉、觚哉。雍也二十五 孔夫子はいわれた、周王朝から伝わる觚(盃)は角があるものであるが、今までは角がない、これが觚といえるのだろうか。 「觚は祭礼で酒を飲む為の器であり、一升のものを爵といい、二升(現代の一合七勺八分)ものを觚という。酒は少量を楽しむものであるのに、春秋時代の觚は大きくなり大酒を嘆かれたのが古注、角の有無を嘆かれたのが新注の解釈。今回も新注に基づいた」 #論語 ○月曜日の夕方、通

    三行詩 第百十七章(述而第七②) - 四端録
    toriburo
    toriburo 2023/12/16
  • 三行詩 第百十六章(雍也第六②) - 四端録

    ○日曜日の午後、12日3日、ウオーキング 冉求曰、非不説子之道、力不足也、子曰、力不足者、中道而廃、今女画。雍也十二 冉求はいう、孔夫子の教え、先王の道に感動を覚えていますが、私の力は及ばず、いくら学んでも実践出来ないのです。孔夫子はいわれた、力が足らない者とは中途半端で諦める。一つで貫き通すことなく諦めていて、何が力不足であろうか。 「一つで貫くことが孔夫子の教えであり、眼目である。力が足りていようが、足らずであろうが何の関係もない。学問の道を問わず、物ごとを成すには一つで貫き通せば良い。仮に結果を出せず墓場に行ったとしても、貫き通したこと自体が十分な結果である」 #論語 ○月曜日の朝、通勤 子謂子夏曰、女為君子儒、無為小人儒。雍也十二 孔夫子は高弟の子夏にいわれた、汝は民を救う儒家になりなさい。経典を読むばかりの口だけの儒家とならないこと。 「過ぎたるは及ばざるが如しの『及ばざる』子夏

    三行詩 第百十六章(雍也第六②) - 四端録
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    toriburo 2023/12/09
  • 三行詩 第百十五章(雍也第六②) - 四端録

    ○日曜日の午後、11月26日、マクド 哀公問、弟子孰為好学、孔子対曰、有顔回者、好学、不遷怒、不弐過、不幸短命死矣、今也則亡、未聞好学者也。雍也三 魯の君主である哀公が問う、弟子で学問を好む人はいますか。孔夫子はいわれた、顔回という者がいました。学問を好み、怒りに惑わされることもなく、過ちも二度繰り返すこともなかった逸材でした。不幸にも短命にて世を去り、以降、学問を好む者を聞くことはありません。 魯の君主である哀公が問う、弟子で学問を好む人はいますか。孔夫子はいわれた、顔回という者がいました。学問を好み、怒りに惑わされることもなく、過ちも二度繰り返すこともなかった逸材でした。不幸にも短命にて世を去り、以降、学問を好む者を聞くことはありません。 #論語 ○日曜日の正午、自宅 「儒学はシングルタスクでなければならない、という人もいる」 「別にそれはそれで良い、しかし、だからマルチタスクを否定す

    三行詩 第百十五章(雍也第六②) - 四端録
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    toriburo 2023/12/02
  • 三行詩 第百十四章(雍也第六②) - 四端録

    ○日曜日の朝、11月19日、ウオーキング 子曰、伯夷叔斉不念旧悪、怨是用希。公冶長二十三 孔夫子はいわれた、周の粟をべずと、首陽山に隠遁して餓死した伯夷・叔齊の兄弟は、清廉で且つ度量が大きく、人が過去に行った不仁を何時までも憎むことはなく、人から怨まれることはなかったのだ。 「清廉であるとは人として美しいことであるが、狭量であれば自らを越え、他人にも清廉であることを強いる・許せない。孔夫子の教えに独善はない。大きな仁徳で全てを包み込む(ぽかぽかとした暖かな)優しさ、思いやりがあり、その内に礼、義、智、信がある」 #論語 ○日曜日の朝、森 「他人と比べて自分は頑張っている(なのに世の中から認められない)だから人の過失が許せない」 「儒家に多い、仁徳を広げることなく四書五経の知識ばかり増えるも、後進に対して捨て垢で煽るのが関の山だ」 「三書五経は大切であるが、肝心の目的である仁徳を広げていな

    三行詩 第百十四章(雍也第六②) - 四端録
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    toriburo 2023/11/24
  • 三行詩 第百十三章(公冶長第五②) - 四端録

    ○日曜日の朝、11月12日、ウオーキング 子貢曰、夫子之文章、可得而聞也、夫子之言性与天道、不可得而聞也。公冶長十三 高弟の子貢はいう、孔夫子は、学問や道徳、先王の道については度々お話しされたが、人間とは何かや天に関してはほとんどお話しをされなかった。 「述而第七 にある『子不語怪力亂神』(孔夫子は怪奇現象や武勇談、巷の醜聞、神や鬼神のことを語られることはなかった)。人間(性)については、孔夫子の言葉、全てが人間のことを語られており、子貢のいう性とは哲学的な解釈であろう。孔夫子の視点・思考は現実世界にある、終生、振れることはない」 #論語 ○日曜日の夕方、森 「朝は寒かったので夕方は着込むも今度は着ぶくれて暑い」 「一気に冬の感あり、秋は何処へ」 「終日、新しいヘッドホンでベートーヴェンのピアノソナタ全集を聴く、バックハウスは最高だと改めて思う」 #三行詩 「私はベートーヴェンのピアノソナ

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    toriburo 2023/11/18
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