ヨーロッパ人の到達以前に、すでにビオコ島には先住民としてブビ族が居住していた。リオムニにはバントゥー系民族が居住していたものの、このころまだ現在の主要民族であるファン人はこの地に到達していなかった[4]。 1472年にポルトガル人のフェルナン・ド・ポーがビオコ島を発見し、この一帯はポルトガル領とされ、島は発見者の名を取ってフェルナン・ド・ポー島と名付けられた。17世紀後半にはファン人のリオムニへの進入が始まり、これは20世紀初頭まで続いた[5]。1778年にポルトガルはブラジルの領有権を認めてもらうことと引き替えに大陸部のリオムニとフェルナン・ド・ポー島をスペインに割譲し[6]、スペイン領ギニアが成立した。スペインの統治下では特にフェルナン・ド・ポー島でカカオのプランテーション開発が進められたものの[7]、その統治は島部や海岸部に限られ、リオムニ内陸部に実質的な支配が及んだのは1920年代