真っ暗な未来を見据えて一歩を踏み出そうとする人たちが集まり、複数の眼で先を見通すための灯火を点し、未来を拓いていくためのサロン、経営情報グループ「漆黒と灯火」。モデレーターは山本一郎。詳細はこちら→→「漆黒と灯火」
真っ暗な未来を見据えて一歩を踏み出そうとする人たちが集まり、複数の眼で先を見通すための灯火を点し、未来を拓いていくためのサロン、経営情報グループ「漆黒と灯火」。モデレーターは山本一郎。詳細はこちら→→「漆黒と灯火」
(週刊アスキー12月11日号掲載コラム『Scene 2012』を再構成しています) 一般誌の『週刊アスキー』の休刊と、『EYE・COM』の週刊化および新しい『週刊アスキー』への誌名変更は、当時の社長のツルの一声で決まった。が、本当に大変なのは、そこからだった。なにしろ、ひとつの週刊誌がコケたばかりである。次、これでまた失敗したらどうなるんだ、みたいなネガティブな空気感が、会社中に蔓延していたように思う。 “フィジビリティスタディ”なる言葉を聞いたのも、そのころだった。なんスか? それ、みたいな(笑)。 「実行可能性調査」と訳されるらしいが、週刊化自体、可能性よりも、不可能性と危険性に満ちていた。当時の役員はほぼ全員が、週刊化に反対。刊行するコストはかなりの額に上るのに、成功の確率は極めて低い、というのが週刊誌である。自分が役員だったら、やっぱり反対していたと思う。しかも、そのころのアスキー
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