ブックマーク / www.highriskrevolution.com (147)

  • 山根ともおというヤツ::Colorful Pieces of Game

    彼は疑いもない天才、超越的なドット屋+α、今で言うならアートディレクターだったと思う。 また反面、当に社会人としてはダメなやつで…例えば、彼と初めて会ったときの話は 山根ともおとの出会い に書いたけれど、当にそこに書いてあるとおりで、全く社会人の常識をわきまえていない…というか、気にしていないというか、まあ困った男だった。 しかも山根は社会人としてはまるで破綻しているムチャクチャなエピソードが山のようにある男だった(その一端はイースの話や、さまざまなところで書いたけど)。 例えば1989年にあったトマトのエピソードなんかもすごい。 イースを作っているとき、山根は並行して何かの仕事を請けていたらしいのだけど、それでトマトが必要になり、慌ててトマトを買ってきた。で、トマトを机の上の作業用ボードに置いて絵を描いた。 そこまではいい。 そして山根はそのまま北海道に来てイースを作って、数週間ぶり

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    toronei 2011/06/11
  • PCエンジンの開発環境(補足)::Colorful Pieces of Game

    今と余りに時代が違いすぎて分からないことが多いだろうから、PCエンジンを作っていた時代について、いろいろと補足。 ■DOSについて 88年当時、使っていたのはDOS 3.1-3.3。DOSはマイクロソフトが作ったMS-DOSというヤツ。今では普通の人はまず画面を見ることがほとんどないが、見たければアクセサリ>コマンドプロンプトを選択することで見ることが出来る。 PCエンジンが開発されている間にDOS4、DOS5とバージョンは上がったが、DOS4はあまりに中途半端なバージョンで、開発環境として使えるか? と言われると微妙すぎたのでスルーされた。91年あたりからDOS 5.0が発売されたが、いろいろな都合で、結局、PCエンジンの開発機は最後まで3.1-3.3あたりのバージョンを使っていた。 さてDOSと言うヤツは8086というとても古くさいCPUに対応して作られていた…とはいっても、この808

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    toronei 2011/02/01
  • 同人誌の宣伝::Colorful Pieces of Game

    自分の作ったを自分のブログで宣伝するのも妙な気持ちで困るのだけど、以下、簡単な宣伝。 今度のコミケで「僕がイースを作った頃」をまとめた同人誌を出しやす。 Colorful Pieces Of Game - PCエンジンCDROM版イース制作メモ B5版 48p 表紙フルカラー 頒布場所は 12/29 - 西地区 れ-43ab 12/31 - 東地区 M-24ab 両日ともに、あいざわひろしのサークルを間借りして、ヒソヤカに頒布してやす。 内容については、前書きが分かりやすいので、以下に前書きの転載。 このは、1988-90に僕がハドソンで凄ノ王伝説を作り、そのあとPCエンジン版のイースI・IIを移植したときの話をまとめたものだ。もともとは自分のブログに載せていた内容だが、友達のTadashi君が「で読みたい」というので、加筆・訂正などを行って、にしてみた。 結構、コマゴマ直したので

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    toronei 2010/12/23
  • ニコ生で喋れなかったことの補足::Colorful Pieces of Game

    微妙に今の人が思っている『ときメモ』と違うだろう。当たり前だ。 『ときメモ』は恋愛育成ゲームと呼ばれるジャンルが登場する前のゲームで、上記シナリオは企画者が想定した『ときメモ』のプレイ。 企画者達の描いた上記のプレイシナリオに、当時レビューをした僕はあっさりかかった。 だいたい雑誌に来た広報資料に「藤崎詩織にふさわしい男になるために3年間の高校生活で自分を鍛える」と書いてあったし、その他大勢のヒロインの事なんて一言も書いていなかった(マルチエンド程度は書いてあったはずだが、マルチエンドもプリンセスメーカー系では当たり前だ)。 だから当に幼馴染の藤崎詩織を落とすために自分を鍛える『プリンセスメーカー』だと思ってプレイを始めたし、まさかパラメータの一つ一つに合わせてヒロインが設定されていて、山のようにいるなんて想像もしていなかった。 そして当たり前だが、パラメータは上げれば上げるほどいいのが

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    toronei 2010/12/09
  • PCエンジン版R-TYPEのコト::Colorful Pieces of Game

    iphone版のR-TYPEをプレイして血管がキレそうになったとき思い出したPCエンジン版の話。忘れないうちにツイートしたのに付け加えてブログ化。 PCエンジン版のR-TYPE1/2は、当時のハドソンのエースプログラマの1人、和泉さんが率いていたチームが移植している。このチームはアーティストを一部入れ替えただけで、次にネクタリスを作った。 サブプログラマが2人いたんだけど、そのうちの1人は、ネクタリスの後で企画寄りに異動して、イース1・2の手伝いをして、さらにぎゃんぶらぁ自己中心派の管理をすることになり、その後もディレクターって名前で結構ハドソンのゲームに出ていたんだけど、今はナニをしているか知らない。けっこー仲良かったんだよね。 で、僕は、和泉さんチームが実質お休みでネクタリスの企画のためにいろんなSLGを研究していたとき、ちょうどハドソンに行って仕事を始め、フツーの人よりはボードゲーム

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    toronei 2010/10/04
  • 1989年11月 - アフターカーニバル::Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

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    toronei 2010/10/03
  • 同人について語ったustに腹が立った::Colorful Pieces of Game

    9/19 17:26に大幅に訂正。 怒りすぎてて、いろんなものがグダグダになっていたので、書き直しました。 誤解もあると言われたのでust関係のところを冷静になって見直したのだけど、問題があると自分で思った。多分、自分が周辺のツイートとも絡み曲解してしたっぽいので、昨日のustに関する怒りは謝罪し、削除しておきます。 9/19の朝、Twitterのハッシュ#doujin24と絡んでustでプロと同人が一緒に同人ソフトについて語っていた。討論内容はグダグダな上に結構ムカつくところもあったのだが、ともかく、気になったのが「同人の定義」が極端に曖昧なことと「儲けること(商業活動)」だった。 というのも、約20年前、僕は天外2を作っているときに不幸な出会いがあり、当に同人が大嫌いだった。 そして、同人に対していわれなき悪意を持っていたが、これを木っ端みじんにしたのが故・岩田次夫さんだった。僕のあ

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    toronei 2010/09/21
    やっぱりメディアコントロールの意識がない人が、USTとかで発言しない方が良いよ。