【北京21日時事】銅メダルには届かなかった−。北京五輪のサッカー女子3位決定戦。なでしこジャパンは、ドイツに0−2で屈した。 雨模様となった北京五輪最後のピッチ。日本のエース沢穂希選手(29)は果敢なプレーでイレブンを引っ張り、90分を戦い切った。 「3度目の正直」を誓ってきた。17歳で初出場した1996年のアトランタ五輪は1次リーグ敗退。「五輪に出ることで満足し、無我夢中でやっていた」。前回のアテネ五輪は準々決勝で米国に破れ、ベスト8。「納得いくプレーができず、悔いが残った」と振り返る。 「成績にこだわりたい」と臨んだ北京五輪。脳裏には2000年のシドニー大会出場を逃した苦い経験が浮かぶ。不況もあり、国内の女子サッカーリーグの核だった実業団チームの廃部が相次いだ。社員として企業に所属し、サッカーに専念できる恵まれた環境はなくなった。 現在も状況は変わらない。日本女子サッカーリーグ
自転車は16日、トラック種目が行われ、男子ケイリンで永井清史(日本競輪選手会)が銅メダルを獲得した。自転車の日本勢では今大会初のメダル。永井は1回戦が3組3着で敗者復活戦に回り、その初戦で3組1着となって準決勝進出。準決勝で2組2着に入り、決勝に進んだ。 男子ポイントレース(40キロ、160周)では37歳の飯島誠(ブリヂストンアンカー)が8位に入賞。永井と同じケイリンの伏見俊昭(日本競輪選手会)は敗者復活戦の初戦で1組4着に終わり敗退した。 (北京時事) 【関連ニュース】 ・ 永井、ケイリン「銅」=自転車で今大会初メダル ・ 永井がケイリンで決勝へ=飯島はポイントレース8位 ・ 日本に思わぬアクシデント ・ 今大会初のドーピング陽性=自転車のスペイン女子選手 ・ 沖、終盤に力尽きる=女子個人ロードレース
勝っても決勝トーナメント進出の奇跡は決して起こらない。しかし、最後の戦いで3たび下を向きたくはない−。若き日本イレブンの気合は伝わってきたが、0−0の後半に均衡を破られる同じ負け方。屈辱の3連敗で五輪は終わった。 1次リーグ突破の懸かる強豪オランダに、前半緩やかなペースで揺さぶられた。本田圭のクロスや球際に強い岡崎のキープ力でいい場面は作ったが、ペナルティーエリアの中ではね返されてしまう。目立ったのはGK西川の好セーブばかり。 オランダはオーバーエージのシボンとマカーイにバベルを前線にそろえ、個人技で日本のゴールを脅かす。オーバーヘッドキックの迫力を見せられると、勝負がつくのは時間の問題にも思えた。後半は豊田、森重が積極的にミドルシュートを打つが、相手を一瞬ひやりとさせただけ。本田圭がバベルを止めようとして反則を取られ、28分にシボンにPKを決められた瞬間、すべてが終わった。 反町監
男子サッカーのベルギー五輪代表のコンパニーは、北京五輪を去る。一時「コンパニーは北京五輪に残る」という報道があったが、結論としてコンパニーは、ドイツ・ブンデスリーガ出場を決意した。コンパニーは12日の飛行機でドイツへ戻ろうとしたが、パスポートを忘れてしまい、予定の便を逃した。その後、コンパニーは同日夜の上海発ミュンヘン行きの便に変更。北京五輪から去ることが決定した。 ベルギーサッカー協会は表面上こそ「コンパニーは自らの意思によってベルギー五輪代表でプレーすることになった」としていたが、水面下ではハンブルガーSVの要請に窮しきっていた。「自分は協会から十分な支えがない」と感じたコンパニーは、自らの意思を変えてハンブルガーSVに戻ることを決意し、空港へと向かったのだが……肝心なものを忘れてしまった。結局、コンパニーは搭乗便を変更し事なきを得たが、大会途中で北京五輪を去り、所属先のハンブルガー
衝撃的な北京五輪欠場を発表した女子マラソンの野口みずき(シスメックス)は、日本オリンピック委員会(JOC)を通じ、次の通り「欠場にあたって」と題する談話を発表した。 女子マラソンの日本代表選手として多くの皆さんの応援と期待に応えるべく、8月17日の北京で!!を大目標に全力で強化トレーニングに取り組んできました。 しかし仕上げ期に入る大切な時期の練習直後に大腿(だいたい)後部に痛みを感じ、その後の練習を中断する事となりました。 いつものようにすぐに回復するものと様子を見て来ましたが、一週間を経ても痛みが和らがず8月4日に帰国し、きょうまで検査と治療を続けました。 診断の結果や自分の感覚からも快方に向かっている兆しは感じていますが、いまだ走りだすと時間経過と共に痛みを感知し、次の段階のトレーニングに入る事ができません。 この4年間やってきた事はすべて北京で走るためだっただけに、今も走
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く