トルシエがジーコとオシムについて、語った本。面白いのはそこではない。現代サッカーに関して触れた部分だ。 ベースはオーソドックスであり、奇をてらうようなスタイルや新たな真実を提示するモデルはどこにもない。すべてはモダンフットボールの中でのディテールの違いであり、(p122-) 皮肉なことに今日では、試合を見なくてもアーセナルはこういうふうにプレーをする、チェルシーならばこうで、バルセロナはこうと、すべてを紙の上に書き出すことができる。それだけ情報が溢れており、すべてが筒抜けで隠し事ができない(p123-) トータルフットボールも消え、今残るのは巨額のマネーで獲得した個々の選手の「個の違い」という。戦術の違いは少なく、情報も通っている。その潮流のなかでトルシエが指摘していたのは、アーセナルのベンゲルが、教育の力を信じていることだと触れていた部分である。私も教育の力を信じている。強い
サッカーバーの店長と話をした。彼は問題意識を強く持っていて、深く語りこんだ。彼が言う問題点は下記のものだった。 ・サッカーのお客は金を落とさない →これは遠征にいくからしかたないだろう。 ・一般レベルに普及しているのは代表だけで、しかも 人気が凋落している。 →国内リーグがどうして一般レベルに普及しないのか真剣に考えたほうがいいだろう。せめて視聴率10%はいかないと。 ・年棒が低い →野球に比べてだろうが、これは企業の冠をはずした事と、放映権を一括してしまっていることに原因の発端はある。 ・エンターティメントとしてなりたっていない。 →国民的ヒーローがいない。これはスターがいないことを意味する。野球で言うと、長島、イチロー、松井、新庄、古田である。スターシステムを皆嫌うが、国民に認知されるにはスターシステムはいると思う。 ・続いてスタジアムの努力が足りない。 →
オシム語録 試合後のイビチャの記者会見や雑誌、新聞等に語られる彼の言葉は非常にウィットに富んでおり、来日時からサポーターだけではなく、サッカー界・マスコミの評判はトップクラスであった。イビチャの記者会見では、哲学的にサッカーが語られる。これが、マスコミ・サポーターの評判を呼び、「オシム語録」と呼ばれ、ジェフユナイテッドの新しい名物として定着した。 ジェフユナイテッドの公式サイトに「オシム語録」のページが設けられ、2003年シーズンの1st15節浦和レッズ戦では「オシム語録」をプリントしたうちわが配られ、好評を博した。ついには書籍化・単行本化までされた。なお、イビチャが川淵の失言で日本代表次期監督の候補に挙げられてから「オシム語録」は大きな注目を集め、マスコミなどでも大きく取り上げられた。 ただし、単にマスコミがおちょくられている場合もまま見受けられ、サポーターの失笑を買うことも
何の明確な理由説明も無いままにオシム監督インタビューを取材日前日になって、3度に渡ってキャンセルされたのだ。朝日新聞、角川書店、集英社の各担当編集者が、ごにょごにょとしか言わない広報担当から聞くところによると、それは、今春Number誌に掲載されたオシム記事がジーコ批判に当たるとして、「木村さんの取材はちょっと」ということになったそうである。 監督の言葉を詳細に採録したあの記事の一体どこが、ジーコ批判になるのか?読解力の無さに呆れるが、例え批判であったとしても、それで取材を妨害するとは、これは度し難い間接的な協会の圧力である。 「ほとぼりが冷めるまで」という訳の分からぬ理由で一ヶ月放っておかれた。 木村元彦の 「地球を一蹴」 第29回(6/27更新) 「川淵キャプテンに伺いたい」 ◆http://mobile-emu.goo.ne.jp/cgi-bin/
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