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  • 洪水を予言する話2 : 志怪を気まぐれに紹介するブログ

    志怪を気まぐれに紹介するブログ 魏晋南北朝時代の頃から質量ともに格的に増えた志怪ですが、当ブログでは五胡十六国時代以外の志怪ものを紹介します 他にも正史には紹介されない異聞の類も探してみたいと思っています ※訳は素人によるもので、解釈の誤り等が含まれる可能性があります 開元年間のこと、江南の地に洪水が発生して溺死する者が数千人に及んだ。 郡がこれを上奏したところ、玄宗は侍御史の鄔君載に命じてその地を巡察させた。 彼が江南にやって来た際、ふと見ると道ばたに見える古墓が水浸しとなっていた。 公が遺骸を高い場所へ遷してやるようにと命じたので墓を開いたところ、何やら文が刻みつけられた石があってどうやら墓誌のようだった。 そこには二十字ばかりの銘があって、「これより千年後にはこの地は泉となる。鄔侍郎のおかげで高い場所へ移されることになるだろう」という内容だった。 載はこれを見て不思議に思ったが、そ

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    toronei 2016/06/30
  • 曹操が死後の計略をめぐらす話 : 志怪を気まぐれに紹介するブログ

    志怪を気まぐれに紹介するブログ 魏晋南北朝時代の頃から質量ともに格的に増えた志怪ですが、当ブログでは五胡十六国時代以外の志怪ものを紹介します 他にも正史には紹介されない異聞の類も探してみたいと思っています ※訳は素人によるもので、解釈の誤り等が含まれる可能性があります 曹操は六十を過ぎてからその娘が皇后となり、自身は魏王となったばかりか息子らも王侯となって何でも思いのままだったが、ただ持病の頭痛だけが悩みだった。 医師の華陀が「頭蓋骨を割って病のもとを取り除けばよろしいでしょう」と勧めたところ、操は手術をさせるどころか言いがかりをつけて殺してしまった。 今や彼は寝台の上を転げ回って苦しむまでとなったが、薬も効果がなく発作の度に我慢するほかなかった。 六十六歳になったときにまたも発作が起こり、精根尽き果てて「わしも長くはあるまい」と悟ったが、あいにく息子たちは遠方に出て養子がいるだけだった

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    toronei 2014/08/15
  • 糜竺のみた夢の話 : 志怪を気まぐれに紹介するブログ

    志怪を気まぐれに紹介するブログ 魏晋南北朝時代の頃から質量ともに格的に増えた志怪ですが、当ブログでは五胡十六国時代以外の志怪ものを紹介します 他にも正史には紹介されない異聞の類も探してみたいと思っています ※訳は素人によるもので、解釈の誤り等が含まれる可能性があります 糜竺は陶朱公の計術を用いて日々莫大な利益を得ていた。 彼はまるで王侯と見まごうばかりの豪華な生活を送り、その宝物倉は千あまりもあるのだった。 その家の厩の横には古い塚があり、中にはどうやら尸が伏しているようだった。 ある夜のこと、竺の夢に一人の婦人が現れて言った。 「昔漢の末に赤眉の賊によって墓を暴かれて棺を破壊されてしまい、以降体が直接土に触れて二百年にもなります。将軍にはどうか改葬していただき、あわせてこの衣服も替えてはいただけないでしょうか」 竺は早速命令を下して改葬してやり、壇を設けて祭った上で青い衣を塚の上に置い

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    toronei 2013/02/25
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