大野俊三(おおの・しゅんぞう) 1965年3月29日生まれ。千葉県出身。習志野高から1983年に住友金属蹴球団へ。空中戦の強さと気迫あふれるプレーを持ち味とするDFとして鹿島アントラーズの草創期を支え、93年にはベストイレブンを受賞。同年、試合出場こそなかったものの、日本代表の一員として“ドーハの悲劇”も経験した。現在は様々なスポーツ施設を持つ鹿島ハイツスポーツプラザの支配人として活躍している。J1リーグ通算99試合出場1得点。 敷地面積は、東京ドームに換算して約6個分。その広大な土地に建つ鹿島ハイツスポーツプラザで、大野俊三は支配人として《チーム》を束ねている。現役引退から15年、十数年前と大差ない風貌は、ピッチに立っていた頃の勇ましい姿を想起させる。鹿島アントラーズのサポーターにとって、彼は特別なOB選手の一人だろう。 1983年当時、日本リーグ2部の住友金属工業蹴球団は、大野にとって