ブックマーク / tokyomanzai0408.com (65)

  • 大空ヒット・東駒千代

    人 物 大空おおぞら ヒット ・ 名 小深田 一生 ・生没年 1913年9月1日~1990年10月17日 ・出身地 大分県 竹田市 東あずま 駒千代こまちよ ・ 名 杉山 千世子(千代) ・生没年 1905年頃~1960年代以降 ・出身地 東京 下谷 来 歴 大空ヒット・東駒千代は戦前活躍した漫才師。東喜代駒門下の俊英で、浅草の劇場と松竹芸能の劇場を中心に大活躍を遂げた。 大空ヒットは、「大空ヒット・三空ますみ」の項に、嫌というほど書いているので、そちらを見て欲しい。 駒千代の経歴は、東喜代駒のページで書きそびれたのでここにまとめておくことにしよう。 駒千代の出身は東京下谷。家は貧しく早くから働きに出されたという。『日刊ラヂオ新聞』(1929年7月9日号)に経歴が出ていた。これを引用してみよう。 東喜代駒と萬歳を放送する駒千代さんは下谷生れの生粋の江戸ッ子、舞臺に立つて居る時はなか/\

    大空ヒット・東駒千代
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    toronei 2023/03/13
  • てきさすコンビ(三田みつお・まさお)

    人 物 三田みた みつお ・ 名 矢田 鉄男 ・生没年 1953年5月12日~1987年12月4日 ・出身地 大阪市 三田みた まさお ・ 名 矢田 浩二 ・生没年 1954年7月11日~ご健在? ・出身地 大阪市 来 歴 てきさすコンビ(三田みつお・まさお)は戦後~漫才ブームに活躍した兄弟コンビ。元々は大阪の三田まさるの門下生であったが、上京して東京の漫才師としてデビュー。珍妙なコミックマジックや独特のコント仕立ての漫才を得意とし、『お笑いスター誕生』などで活躍した。みつおは心臓が悪く夭折を遂げた。 名は『漫才協団名簿1987年度』より割り出した。生年は1986年のNHK漫才コンクールパンフレットより割り出した。 〈三田みつお〉 アフロ。兄。昭28・5・12、大阪市生れ。 〈三田まさお〉弟。昭29・7・11、大阪市生れ。 師匠は三田まさる(昭和46年11月入門)。コンビ歴6年。 大

    てきさすコンビ(三田みつお・まさお)
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    toronei 2023/02/08
  • 青井しんご・赤井しんご

    赤井あかい しんご ・ 名 春日 文夫 ・生没年 1931年2月24日~2016年3月 ・出身地 長野県 松代町 来 歴 青井しんご・赤井しんごは戦後活躍した漫才師。「赤い信号・青い信号」の洒落である。赤井しんごは、笹八平と改名し、「一平八平コンビ」で売れに売れた。しんごは漫談家として活躍したが、晩年は不遇だった由。 赤井しんごは「笹八平」の経歴を参照。 新宿第六学校卒業後の1948年4月、浪曲の初代鹿島秀月の門下に入り、5年間、浪曲師の修行を重ねる。当時は「鹿島秀司」といっていたようである。 鹿島秀月は鼈甲斎虎丸門下の秀才で、文芸浪曲を得意とした浪曲師であった。品もあり、声もよく、出世が期待されたが夭折した。 その後、1956年まで浪曲を続けたものの、浪曲不況の波には勝てず、コメディアンに転向。地方回りで腕を磨いた。同じような経歴に、浪曲漫才の「鹿島伸月」がいる。兄弟弟子にあたる。 1

    青井しんご・赤井しんご
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    toronei 2022/12/23
  • 荒川末丸・玉子家艶子

    人 物 荒川あらかわ 末丸すえまる ・ 名 ?? ・生没年 ??~1927年頃 ・出生地 関西? 玉子家たまごや 艶子つやこ ・ 名 ?? ・生没年 ??~1935年以降? ・出生地 関西? 来 歴 上方漫才の大立者の玉子家圓辰の門人と思われる漫才師であるが詳細はほとんどわからない。 松鶴家千代若によると円辰の門弟だったというが……。 後述の理由があるため、一応人物欄に入れておいたが、拠地は大阪だったと見えて、東京の漫才師といわれると疑問が残る人物でもある。 「東京萬歳」と冠したからと言って、東京人に受ける漫才をやっていたかどうかは分からない。単に上京して東京にいたという理由だけで「東京」と名づけていたのかもしれない。 当時、出稼ぎのために巡業や安来節の一座に潜り込んで、東京と関西を往復していた芸人はたくさんいた。 それらを踏まえて考えると、荒川末丸を東京の漫才師と考えるのは流石に無

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    toronei 2022/02/19
  • 笹一平・八平

    笹ささ 八平やっぺい ・ 名 春日 文夫 ・生没年 1931年2月24日~2016年3月 ・出身地 長野県 松代町 来 歴 戦後活躍した漫才師。軽妙で独特な話術が売りだったというが、一平の夭折で早くに別れた。 八平は、「春日文夫」「夏川洌(じゅん)」の両名があり、判別に困るが、御遺族によると名は「春日文夫」だったという。は夏川芸名だった模様か。その前歴は『漫才』(№16)に掲載されたプロフィールに詳しい。 「ずい分飲めそうな名前だナー」と誰かが云った、成程(さァさ一ペェ)(サァさやっペェ)と呼べば当に飲めそうな芸名 ところが二人ともこれとは裏腹…… 酒がなくてなんの己れが浮世かな……と意気がるどころか、芸なくてなんの己れが漫才かナー……と至極マジメな勤勉家。その甲変あって今年のNHKコンクールでは初出場で二位の銀的を射止めたコンビ……笹八平は昨年まで活躍したWシンゴの一人で赤井シンゴ

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    toronei 2021/09/12
  • Wけんじ(東けんじ・宮城けんじ)

    人 物 人 物 東あずま けんじ ・ 名 大谷 健二 ・生没年 1923年12月17日~1999年1月7日 ・出身地 東京 尾久 宮城みやぎ けんじ ・ 名 寺島 文雄 ・生没年 1924年8月20日~2005年10月19日 ・出身地 宮城県 来 歴 東けんじの前歴 生まれは東京であるが、国鉄に勤務していた父親の転勤で、生後間もなく栃木県宇都宮市に移住。同地で育つ。そのため、長らく栃木県出身を自称していた。 今泉尋常小学校に進学したが、家族の転勤のため、奥沢尋常小学校へと転校。同校卒業後、大田原中学へと進学。 父親と同じ鉄道員を志し、中学を卒業した1941年、東野鉄道に入社し、黒羽駅駅員として勤務。 1944年、出征し、千葉県の臼井高射砲隊に配備されるが、翌年の終戦と共に復帰。 復員後は駅員の傍ら、素人劇団を結成し、公演やフリーパスを利用して浅草通いをしている内に、観劇や実演に強く惹か

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    toronei 2021/07/19
  • 榎本晴夫・国友昭二

    人 物 榎えのもと 晴夫はるお ・ 名 榎 方一 ・生没年 1923年10月12日~2014年12月頃 ・出身地 東京 国友くにとも 昭二しょうじ ・ 名 稲山 昭二 ・生没年 1927年6月15日~没 ・出身地 東京 来 歴 国友昭二は、戦後、南道郎・国友昭二で鳴らした一人。詳細は、南道郎・国友昭二を参考にせよ。 青空うれし氏が生前の榎晴夫人から聞いた話によると、「先祖は井出志摩守(井出正次か)とかいう偉い人で、その末裔には南部鉄道の創始者がいる」そうで、名門の家柄だったらしい。 元々はバンドマンでドラム奏者として活動していた。 うれし氏が思い出した話によると「学生時代はボス宮崎とコニーアイランダースでウクレレとボーカルをやってたんだよ。だから根からバンドマンなんだね。それからコロムビアに移って楽団スイングチェリーってのを結成してドラムを叩いていたんだな」。これは『東宝創立四

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    toronei 2021/07/19
  • 浪速マンマル・シカク

    人 物 人 物 浪速なにわ マンマル ・ 名 泉 徳右衛門 ・生没年 1898年~1960年代以降? ・出身地 兵庫県 神戸市 浪速なにわ シカク ・ 名 喜久住 忠次郎 ・生没年 1880年代?~戦後 ・出身地 大阪府 来 歴 戦前の人気漫才の一組で、その活躍ぶりは千太・万吉、ヤジローキタハチ等に迫るものがあった、という。波多野栄一の自伝『僕の人生百面相』によると、 リーガル千太・万吉 内海突破・並木一路 東ヤジロー・キタハチ 浪花マンマル・シカク(栄一はマンマル・栄一にしているが) の四組が、「東京漫才の四天王」だったそうである。 しかし、その人気の割には、余り情報は多くなく、シカクは名、生没年共に不詳。マンマルの生年は、波多野栄一によると、自分より二つ上(栄一は1900年生まれ)だったという。 漫才以前 それでも新聞や雑誌に逸文は残されているので、それを基につらつらと書いていく

    浪速マンマル・シカク
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    toronei 2021/07/14
  • リーガル千太・万吉

    リーガル千太・万吉 千太(右)・万吉(1959年頃) (出典 國學院大學 研究開発推進センター) 人 物 リーガル 千太せんた ・ 名 富田 寿 ・生没年 1901年7月2日~1980年5月10日 ・出身地 東京 リーガル 万吉まんきち ・ 名 寄木 昇 ・生没年 1894年12月12日~1967年7月30日 ・出身地 東京 来 歴 千太は、元々屋の店員になったのを振り出しに古屋の店員、神田にあった出版社と転々としていたが、25の時に落語家を志し、大正15年9月1日、柳家金語楼の門下に入って、柳家金洲と名乗る。 はじめは前座と屋の二束わらじを履き、屋に籍を置いていたが、入門直後に連れていかれた東北巡業で御難に遭ったことがきっかけとなって、会社を解雇され、そのまま金語楼の内弟子になった。後に金語楼劇団結成と共に緑朗と改名した模様である。 一方の万吉は、明治27年12月12日、東京

    リーガル千太・万吉
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    toronei 2021/07/07
    中山涙さんも思い込み激しい人だからなあ。コラムニスト的な感じでやるのならともかく、研究者的な発信や活動をあのスタンスでするのは問題あると思うよ。
  • 松鶴家千代若・千代菊

    人 物 人 物 松鶴家しょかくや 千代若ちよわか ・ 名 安藤 定夫 ・生没年 1908年10月25日~2000年6月25日 ・出身地 栃木県 太田原 松鶴家しょかくや 千代菊ちよぎく ・ 名 安藤 ふゆ ・生没年 1915年1月29日~1996年4月29日 ・出身地 東京 浅草 来 歴 松鶴家千とせ、東京太、さらにはビートたけしなどといった人気者の育ての親であり、漫才界の長老として、また夫婦漫才の見のような存在として、広く尊敬されたコンビである。 のほほんとした千代若ときびきびとした千代菊の姿と朗らかな舞台を記憶している人も多い事であろう。長生きをし、しかも弟子が有名人揃いとだけあってか、多くの資料やが残されており、一部は今でも容易に入手することが出来る。 普通に見る限りだと、東京漫才の大御所として重きをなしたようなイメージが強いが、元を辿れば関西の漫才であり、松鶴家という屋号も

    松鶴家千代若・千代菊
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    toronei 2021/01/16
    松鶴家って上方の屋号だよなとずっと疑問だったんだけど、たけしの師匠が戦後に上方から東京に出てきたことで東京で広がってたんか。
  • 橘家デブ子・花輔

    人 物 橘家 たちばなやデブ子 ・ 名 ?? ・生没年 ??~?? ・出身地 ?? 橘家たちばなや 花輔はなすけ ・ 名 ?? ・生没年 ??~?? ・出身地 ?? 来 歴 東京漫才の創成期に活躍した清丸、喜代駒、染団治らと肩を並べるほどの最古参にも関わらず、その実態は殆ど明らかになっていない、まことに面妖なコンビである。 花輔は名前の通り、噺家の出身。『大衆日音曲全集 12』の中に、 今日では橘圓(原文ママ)の弟子の花輔がデブ子と落語家を脱して漫才になつたり…… と、いう記載がある。 この記載を当とするならば、罹災死した橘ノ円十郎、東京漫才の長老、橘エンジロは、彼と兄弟弟子に当たる、ということになる。 なお、橘ノ圓の門下からは、橘ノ一円・百円、円十郎など、滑稽掛合や茶番を得意とする芸人が輩出されていることが確認されているので、落語家だった花輔が漫才師になったところで、これという驚

    橘家デブ子・花輔
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    toronei 2021/01/15
  • 南道郎・国友昭二

    人 物 南みなみ 道郎みちろう ・ 名 根岸 貞一 ・生没年 1926年9月25日~2007年11月13日 ・出身地 東京 品川 国友くにとも 昭二しょうじ ・ 名 稲山 昭二 ・生没年 1927年6月15日~没 ・出身地 東京 来 歴 戦後、綺羅星のごとくに現れた人気漫才師の一組。学生漫才という新しいジャンルを作り、コロムビアトップ・ライトと壮絶な鎬を削り合い、喜劇や歌劇の出演、司会漫才の開拓など、数年のコンビにもかかわらず、後進の漫才師に大きな影響を与えることとなった。 南道郎は、舞台俳優、映画俳優としても有名である。なお、南道郎の経歴はご遺族の資料提供によって、判明した。ありがとうございます。 南道郎の場合 建築業を営む根岸貞作、はなの長男として生まれる。父親は頑固な職人で、腕はいいが、気が向かないと仕事をしなかったらしく、道郎は家族を養うために納豆売りのバイトをして生計を立てて

    南道郎・国友昭二
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    toronei 2020/09/23
  • 酔月楼とり三・唄の家なり駒

    人物 人 物 酔月楼すいげつろう とり三ぞう ・ 名 長谷部 酉三郎 ・生没年 1890年代~1960年代? ・出身地 東京? 唄うたの家や なり駒こま ・ 名 前田 喜平 ・生没年 1902年頃~1960年? ・出身地 兵庫県 神戸 来 歴 ほとんどを関西で過ごしたため、東京漫才に含めていいかどうかすごく迷うところであるが、とり三が、春風枝雀・かほるのかほるの叔父にあたるため、ここでは採用した。 とり三の経歴 とり三の経歴は『民族芸能』(340~387号)掲載の春風かほる聞き書きに詳しい(来は枝雀の聞き書きであったが、枝雀逝去のため、補足としてのかほるに聞いたもの)。 とり三の話は、373~375号に出てくる。引用はいろいろとうるさいので、概要のみ記す。 とり三は元々関東の出身(東京)であったというが、思うところあって、大阪へ移り、漫才に転向。後年、籠寅興行に入り、更に吉興業と

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    toronei 2020/09/12
  • 内海桂子・好江

    人 物 人 物 内海うつみ 桂子けいこ ・ 名 安藤 良子 ・生没年 1922年9月12日~2020年8月22日 ・出身地 千葉県 銚子市 内海うつみ 好江よしえ ・ 名 奥田 好江(旧・栗田) ・生没年 1936年2月23日~1997年10月6日 ・出身地 東京 浅草 来 歴 内海桂子・好江は戦後活躍した女流漫才である。桂子と好江は師弟関係ではない、純然たる他人コンビであった。派手で達者な三味線漫才と個性的なキャラクターで一世を風靡したほか、歯切れのいい男勝りの江戸っ子キャラとして、俳優やコメンテーターとしても活躍した。 内海桂子の来歴 内海桂子こと安藤良子は、網中一良と安藤千代の長女として千葉県銚子市に生まれる。当時、二人は恋愛関係の末に駆け落ちし、千葉県銚子市へと落ち延びた所であった。そのため、出生届を出すのが遅れ、戸籍上では「1923年1月12日」生まれとして登録されている。

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    toronei 2020/08/28
  • 小桜金之助・桃の家セメンダル

    人 物 小桜 金之助こざくら きんのすけ ・ 名 塩見 金助 ・生没年 ?~1954年以降 ・出身地 ? 桃の家もも や セメンダル ・ 名 塩見 タカ ・生没年 ?~1954年以降(1938年時点で中年を迎えていた) ・出身地 北国(どこ?) 来 歴 古参ではあるが、謎の多いコンビ。花輔・デブよりかは一応記録が残っているが、それでも圧倒的資料不足である。なので分かる範囲でしか綴れない。 金之助の前歴は謎が多い。然し、古いのは確かで、大正末期には東京へ来ている。『都新聞』(1925年2月18日号)の広告に、 ▲三幸劇場 十八日より桃の家隆子、小櫻金之助加入 とあるのが初出だろうか。以降、東京に移住したとみえて、『都新聞』(1927年10月22日号・27日号)に、 ▲第二館 萬歳小櫻金之助セメンダル、日の丸、源六、源一、花の家娘連加入 ▲万歳小櫻金之助一座 廿六日より五日間深川衆楽座 と

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    toronei 2020/06/12
  • 吾妻家ぼら・国春

    人 物 吾家あづまや ぼら ・ 名 鰡 伊三郎 ・生没年 ??~1969年以降 ・出身地 神戸? 吾家あづまや 国春くにはる ・ 名 鰡 ハルヱ ・生没年 ??~1969年以前 ・出身地 神戸? 来 歴 戦前戦後に活躍した夫婦漫才。名が「鰡」(ぼら)という珍しい名前の持ち主であった。 長らく上方が拠点で神戸の千代之座によく出ていた事から純然たる東京漫才とは言い難いが、戦時中関東によく来演し、籠寅興行などとも関係を持っていた事から、馴染みのない存在というわけでもなかった。 前歴はよく判らないが、出身は神戸か。 結構古い漫才だったそうで、1930年には一枚看板で舞台に上がっている。以下は『近代歌舞伎年表京都篇』に載った広告の抜粋。 毎日昼正午午後六時の二回開演で重なる顔触は、大正軒豆子・ 大正軒佐市・かつら信枝・かつら可笑・菅原家静子・菅原家三代春・井上ハイカラ・吉野家品子・葉村家奴

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    toronei 2020/06/10
  • 新山ノリロー・トリロー

    人物 人 物 新山にいやま ノリロー ・ 名 渡辺 徳夫(現在は泉) ・生没年 1936年1月1日~2022年12月19日 ・出身地 朝鮮 新山にいやま トリロー ・ 名 横沢 栄司 ・生没年 1934年6月5日~没 ・出身地 東京 目黒 来 歴 戦後活躍した漫才師。大きな眼鏡をかけて、イカサマ英語をまくしたてるノリローと大柄でヌーボーとしたトリローの対比で受けた。立川談志が高く買っていた漫才でもある。ノリロー氏は健在で、東京漫才に関する記録や証言、資料を度々頂戴している。 ノリローの経歴 新山ノリローは、当時、日の統治下にあった朝鮮にて、刑務官の父と主婦の母親の三男として生まれる。出生名は、山崎徳夫。次兄は、法政大学名誉教授で、マルケス『百年の孤独』やボルヘス『伝奇集』などの翻訳で知られる鼓直。先年亡くなったのは知られた話であろう。 家族の関係で、幼い頃は朝鮮半島に居住。父親は刑務

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    toronei 2020/06/06
  • ロマンスガールズ

    人 物 ロマンス 清美 きよみ ・ 名 服部 清美 ・生没年 1930年代?~?? ・出身地 群馬県 ロマンス 由美 ゆみ ・ 名 守屋 由美子 ・生没年 1930年代?~?? ・出身地 ?? ロマンス 多枝子たえこ ・ 名 赤司 妙子 ・生没年 1930年代?~?? ・出身地 ?? 来 歴 戦後活躍した女流音楽トリオ。所謂歌謡漫談の一組として、西のかしまし娘や、同僚のさえずり姉妹などと人気を競い合ったという――が謎が多く残る不思議なグループである。ロマンスの名の通り、華やかで女の長所を生かした舞台を展開したという。 前歴などには謎が残るが、幸いにして『東京新聞・夕刊』(1965年3月27日号)の『われらボーイズ⑨』の中に、彼女たちの事が記されている。これを引用して、前歴紹介としよう。逆に言えば、これくらいしか資料がないんである。 女ボーイズの古手である。清美、多枝子、由美の三人組で

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    toronei 2020/05/18
  • 人見明とスイングボーイズ

    人見明とスイングボーイズ (人見明・久呂須敏・荒井弥太・西八郎) 左から人見・荒井弥太・久呂須敏 前列右より、西八郎・荒井弥太 後列右より、久呂須敏、人見明 左から西八郎・久呂須敏・荒井弥太 人 物 人見ひとみ 明あきら ・ 名 荘加 政雄 ・生没年 1922年5月16日~2007年以降(ご健在?) ・出身地 東京府 北豊島郡 板橋町 久呂須くろす 敏びん ・ 名 片田 勝美 ・生没年 1922年10月15日~没? ・出身地 栃木県 足利市 荒井あらい 弥太やた ・ 名 谷戸 雄一 ・生没年 1927年1月15日~没? ・出身地 神奈川県 横浜市 西にし 八郎はちろう ・ 名 片田 正雄 ・生没年 1930年11月25日~没? ・出身地 神奈川県 横浜市 来 歴 人見明とスイングボーイズは戦後活躍した歌謡漫才グループ。メンバーが定着する以前は、南けんじなども所属していたことがある。

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    toronei 2020/05/16
  • 晴乃ピーチク・パーチク

    人 物 人 物 晴乃はるの ピーチク ・ 名 直井 利博 ・生没年 1925年9月28日~2007年10月23日 ・出身地 東京 北千住 晴乃はるの パーチク ・ 名 手塚 清三 ・生没年 1926年10月26日~2000年9月8日 ・出身地 山形県 来 歴 戦後活躍し、一世を風靡した「ピーチク・パーチク」張人。東京漫才のスターと謳われた「チック・タック」の師匠でもある。若いころは、直井オサム・大沢ミツルという芸名で活躍していたのは知られざる話である。 ピーチクの遍歴 ピーチクの経歴は、富澤慶秀『東京漫才列伝』に詳しい。以下はその聞き書きをまとめたもの。 栃木県出身――という資料があるが、これは父親の出身地で、ピーチク人は東京出身。父親は栃木の農家の末っ子であったが、志ありて上京。苦学の末に区役所職員になった、身持ちの堅い人物であった。 10歳の時に母親と死に別れ、大きなショックを

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    toronei 2020/05/13