スマートフォンのカメラで下記のQRコードをスキャンしてください。 https://cururur.jp
■「無意味なネガコメはスルー」が黄金の法則だ 3回前のエントリでは、ブクマ・コメントを読む側の心理を分析した。、また2回前のエントリでは逆に、書く側の論理を客観的に考えてみた。 で、まとめとして私の主観的な結論を言えば、過去にも何度か書いた通りだ。 【ご参考】 ※いずれもアスキー連載 ●『小倉さん、それでもスルー力は必要ですよ』 ●『スルーが効く理由(わけ)、効く場合』 自分にとってプラスになるネガコメは取り入れ、単なるノイズはスルーする。それが黄金のセオリーです、って話である。 ■ネガコメ耐性を上げよう この間、いろんな人がネガコメに言及するのを読んだ。で、だいたい冒頭に書いた通りの結論が出たんじゃないかと思う。 ネガコメは必ず自分のところに届くものなんです。 はてブを禁止にしたら、また別の手段でネガコメを届けるだけです。(中略) だから、ネガコメを受け取りたくないという考えは諦めてくだ
2nd写真集&DVD「Coin」が発売中でーす!!小出由華で〜す!(そうです、昔は「ウゴウゴルーガ」のルーガちゃんでした^-^;)皆さん!この下の欄から検索してみてください!みんなで検索した分だけ、gooちゃんが地球に木を植えてくれるんだって〜!! ・11/24(土)21:00~「アドマチック天国」(テレビ東京) ・11/25(日)23:00~ 「デジスタ」(NHK BShi) ・12/3(月)19:30~「ふくい浪漫 い〜ざぁええDay」(福井テレビ) ・12/13(水)18:00~「ワンダフルワールド」(TOKYO FM) ・12/14(木)17:00~「5時に夢中」(TOKYO MXテレビ) ・「ポスト“ブログの女王”は誰だ!?」・・・3分過ぎから由華が出ていま〜す^-^(ニュースGyaO) ・「ウゴウゴルーガ」 再放送中!(フジテレビ721+739)
2007年11月08日15:00 カテゴリMediaPsychoengineering 「ほげ」「ふが」...がどんだけの男女を無気力にさせているのか少し考えてみた これ読んで少し無気力になったので;-) heartbreaking. 「子供が産まれて感動した」「おめでとう!」…がどんだけの男女を無気力にさせているか少しは考えろ 本当に人の痛みの解る人間は、自分の幸せを語る前にまず、この幸せを得られない人が、自分のこの幸せを知った時どのように感じるか… と少しは考えてから言葉を発するんだよ。これを書いたあなたが「傷ついた」のはこれ読んで分かった。そして「本当に人の痛みの解る人間」でないのもわかった。本当にそうだとしたら、とてもじゃないけどこういう台詞は言えないもの。 泣いているあなたの元に見知らぬ子供がやってきて、持っていたキャンディーをあなたに渡しました。「おねえちゃん、元気出して」。甘
そういえばどこかで、ブログが広まったおかげでみんなが「一億総評論家」状態になってると文句を言っている人がいましたが。別に良いんじゃないでしょうか。文句言ってる人は権威ぶった「ヒョーロンカ」の態度が気に入らないんでしょうが、本当にみんなが評論家になってしまえば事実上評論家の価値はなくなり、「ヒョーロンカ」は消えてなくなるんじゃないでしょうか。ダイアモンドの価値は、美しいことにもよりますがやっぱりその希少性ですよね。例え綺麗でも水晶はたくさん取れるんでそこまで価値がない。同じことだと思うんですが。 まぁみんなが「ヒョーロンカ」になって、それがいいのかどうかは別ですがね。
110 Bishopsgate, London, UK © 2010–2022 DotsPress.com. All Rights Reserved
本物のプロフェッショナルというのは、とても有能で、頼りになる。 知識があり、スキルがあり、責任感があり、決断力があり、前向きで、建設的で、戦略的で、実用的で、結果を出す。 しかし、ただそれだけだ。 プロフェッショナルになるための努力をいくら積み重ねても、 「感動を生む仕事」ができるようになるとは限らない。 「感動を生む仕事」をする人というのは、 アマとプロを結んだ直線の延長線上にはない。 「感動を生む仕事」をする人というのは、 頭がいいとか、知識があるとか、センスがいいとか、責任感があるとか、 そういうことじゃないんだ。 そういう「感動を生む仕事をする人」にはいくつかのタイプがあるが、その一つのタイプの特徴を、以下に列挙してみた。 アマ プロ 感動を生む仕事をする人 1. 現状に甘える 1. 人間的成長を求め続ける 1. 人間と社会に対する容赦のない洞察を積み重ね、結果として人間的に成長す
「あなたの気持ちは、痛いほどよく分かります。」 と言いながら、 とんでもなく見当違いの同情 をしてくれる方がいらっしゃいます。 その方は、オイラがどのように傷つき、怒り、憎み、 恐れ、深い悲しみにうちふるえているかを、せつせつと語るんですが、 一から十までピントがズレまくっていたりします。 オレは確かに苦しんでいるが、 そんな激しくどうでもいいことで 苦しんでるわけじゃないんだよ。 その人が「痛いほどよく分かる」というオレの喜怒哀楽は、 フィクションであって、実在するオレの喜怒哀楽とは全くの別物なんですよ。 唯一ノンフィクションだと言い切れるのは自分の感情やクオリアだけです。 自分は「苦しんでいる自分」を直接感じることができる。 自分は、自分の感覚の中で起こっていることと同じことが 他人の中でも起こっているに違いないと「想像」しているだけです。 自分は、他人の中で起こっている感情やクオリア
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く