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2016年4月2日のブックマーク (3件)

  • 「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ

    すでに旧聞になると思う。というか、そうなるのを待っていた面もあるし、考えていたらそうなってしまったという面もある。話題は、れいの、と言ってもいいだろう、「保育園落ちた 日死ね!」ということだが、私が気になっていたのは、「日死ね」という表現だった。そう言うべきだったのだろうか? 言葉狩りがしたいわけではないが、これが仮に「中国死ね」や「韓国死ね」という表現であったら、ヘイトスピーチになるのではないか。なのになぜ、「日死ね」ならそういう問題にならないのだろうかと疑問に思ったのである。 おそらく日人なら「日死ね」と言ってよいという暗黙の前提があるのではないだろうか。だとすればそこで疑問が続く、日人なら「日死ね」と言ってよいのだろうか? あるいは、日人なら「日死ね」と言えるという特権のような意識があるとすれば、それは何に由来するのだろう? その特権を支える正義はなんなのだろう? 

    「日本死ね」と言うべきだっただろうか?: 極東ブログ
    toshi20
    toshi20 2016/04/02
    「死ね!」と言われるまで問題が掘り下げられなかった社会の鈍感さの方が問題。そこから様々な本音が炙り出された事で、問題の深刻さが広く共有された流れにこそ意義がある。暴力と表現の境目ギリギリセーフ。
  • まとめよう、あつまろう - Togetter

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    toshi20
    toshi20 2016/04/02
    共同垢ってなにそれ怖い。
  • 十四松の闇

    どうして十四松は現在のようになったのか? 兄弟ですら恐怖を抱く十四松の謎… 闇の概説『おそ松さん』17話「十四松まつり」の最終パート「十四松」にて触れられた、「何故、十四松は“あの十四松”になったか」という、ある意味最大のタブーのこと。 『おそ松くん』時代の十四松は、「ピーピーうるさい十四松」であり、よく泣きよく歌い、兄弟揃って悪戯や悪巧みこそすれ、比較的にやさしく純粋な性格だった。 ところが大人になった『おそ松さん』では、どういうわけか頭のネジのぶっ飛んだハチャメチャな奴(うるさいのは変わらず)へと変遷を遂げ、もはや小学生時代の面影など何処へ飛んだかさえ謎なキャラクターになってしまった。 既に13話でチョロ松とトド松から「子供の頃こんなのじゃ無かったよね?」「いちばん深い闇を抱えている可能性があるね」と言われていた。 闇への挑戦(ネタバレ注意) 17話の最終パートにて、おそ松がとうとうこ

    十四松の闇
    toshi20
    toshi20 2016/04/02
    「十四松まつり」の一篇「十四松がああなった理由」について。考察が興味深い。