澤木政輝→学芸部 対局後の感想戦でさっぱりとした表情を見せる有吉九段=大阪市福島区の関西将棋会館で2010年5月24日、澤木政輝撮影 将棋の現役最高齢棋士、有吉道夫九段(74)=兵庫県宝塚市=が24日、大阪市福島区の関西将棋会館で行われた第36期棋王戦予選トーナメントで矢倉規広六段(35)に敗北。日本将棋連盟の規定により、同日付で引退した。通算成績は1088勝1002敗だった。 有吉九段は岡山県備前市出身。故・大山康晴十五世名人に師事し、1955年にプロ棋士に昇格した。強い攻めの棋風から「火の玉流」の異名で呼ばれ、棋聖獲得1期、棋戦優勝9回。 有吉九段は今年2月2日の名人戦順位戦で敗退し、C級2組からフリークラスへの降級が決定。同クラスの65歳定年制により、引退が確定した。しかし、その後も他の棋戦で勝ち星を重ねて現役を続行。引退期日を「引退が決まった年度末」とする連盟の規定を「最終対局日」
臨時列車「あすか」を撮影するファンら。14日にもJR関西線河内堅上駅近くで鉄道ファンが線路内に立ち入るトラブルがあった=大阪市のJR新大阪駅で2010年2月14日、茶谷亮撮影 20日午後5時ごろ、滋賀県草津市渋川1のJR東海道線草津駅で、京都駅へ回送中の臨時列車「あすか」が止まっていたホーム近くの線路内に、カメラを持った人が立ち入っているのを別の電車の乗務員が見つけた。電車を止めて注意しようとするとそのまま立ち去ってしまった。回送のあすかが7分遅れで発車したほか、上下計5本が緊急停止するなど最大で10分遅れ、約3500人に影響が出た。 この日はJR草津線全線開通120周年を記念し、DD51ディーゼル機関車がけん引するあすかが草津駅と柘植駅(三重県伊賀市)間を往復。珍しい座敷列車を撮影しようと、沿線には多くの鉄道ファンが訪れていた。 あすかをめぐっては今月14日にも、大阪府柏原市のJR関西線
この日運行された臨時列車「あすか」を撮影するファンら=大阪市のJR新大阪駅で2010年2月14日午後2時46分、茶谷亮撮影 14日午前10時40分ごろ、大阪府柏原市のJR関西線河内堅上駅近くの線路脇にカメラを持った男性ら3人がいるのに、加茂発天王寺行き快速電車の運転士が気づいて停車。直前に回送電車の運転士が同じ場所で線路に立ち入っている約50人を目撃しており、別の普通電車も人影に気づいて停車した。上下計19本が運休、26本が最大約40分遅れ、約1万3000人に影響した。 団体客専用の臨時列車「あすか」の運行があり、鉄道ファンらが撮影に集まったらしい。JR西日本と府警柏原署によると、快速電車の運転士が退去を求めたが数人が聞き入れず、周辺駅から応援の駅員を呼んだり、パトカーが出動する騒ぎになった。全員立ち去ったが同署が列車往来危険容疑で調べている。 あすかは車内を座敷に改装した珍しい車両。運行
羽生善治王将(39)に久保利明棋王(34)が挑戦する第59期王将戦七番勝負(毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社主催)の第2局は1月28、29の両日、栃木県大田原市のホテル花月で行われ、羽生が123手で勝って対戦成績を1勝1敗とした。久保が得意とするゴキゲン中飛車に対して羽生が果敢に挑み、息詰まる終盤戦を制してタイに追いついた一局を、佐藤義則八段の解説で振り返る。【山村英樹】 ◇予想の範囲 栃木県北東部に位置する大田原市での王将戦開催は、本局で5年連続となる。ホテル花月では4年連続。2年前、羽生に挑戦した久保は「対局室と自分の部屋を見て、だんだん思い出してきました」と話していた。 2年前はホテル花月での開幕局で敗れ、結局、1勝4敗で羽生に押し切られた久保だが、今期は先勝して意気が上がっている。先手番の第1局では石田流三間飛車を採用したが、今回は大方の予想通り、後手番でゴキゲン中飛車に構えた。
羽生善治王将(39)に久保利明棋王(34)が挑戦する第59期王将戦七番勝負の第1局(毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社主催、大塚国際美術館、大塚ホールディングス協賛、徳島新聞社など後援)は15、16日、徳島県鳴門市の同美術館で行われ、久保が勝って初の王将位獲得へ好スタートを切った。将棋界の新春の幕開けとなる第1局は、久保が先行して羽生が追い上げる熱戦となったが、久保が冷静に仕上げて勝利を得た。阿部隆八段の解説で振り返る。【山村英樹】 前期は深浦康市王位が羽生に挑戦し、デッドヒートを繰り広げた末、羽生が4勝3敗で5連覇を達成。王将獲得を通算12期に伸ばした。 今期の挑戦者は久保。リーグ戦を5勝1敗で終えて単独首位となり、2度目の挑戦を果たした。2年前の七番勝負は内容的には接戦続きだったが、1勝4敗で羽生に敗退。王将初挑戦での獲得はならなかった。 しかし、久保は昨年、棋王戦で佐藤康光棋王(当時
◇一体感育てた「企業文化」 運営費以上の価値あった 社会人野球の名門・日産自動車(神奈川県横須賀市)の昨年限りの休部は、不況による企業スポーツ冬の時代を象徴する出来事だった。創部50年の09年、都市対抗野球大会と日本選手権大会で4強という輝かしい結果を残した。私は地元記者として取材した。ナインらのひたむきさも印象に残るが、それ以上に、収支の数字に示される「企業論理」だけでは測れない「企業文化」という無形の財産を、チームがはぐくみ続けていたとの思いが絶えることはない。 09年11月21日、京セラドーム大阪。日本選手権準決勝のJR九州戦は、事実上の最終戦となった。スタンドはチームカラーの赤で埋まっていた。「大げさかもしれないが、野球部をきっかけに愛社精神が育ったような気がする」。その一角で横浜工場勤務の中村明夫さん(56)はしみじみと語った。野球部の応援は入社以来35年。「工場の人たちと工場に
今夏の都市対抗準優勝で、日本選手権3連覇を狙うトヨタ自動車が31日の公式戦で、設立1年目の居酒屋チェーン運営会社チーム、ジェイプロジェクトに1-3で敗れる波乱があった。 愛知県の社会人中心に15チームが集うJABA愛知県会長杯1回戦。投、捕手ともに控えが出て七回に3点許した。12日開幕の日本選手権で初戦の相手が、今季限りで休部の日産自動車に決まったばかり。この大会6連覇中で順当なら4試合できるはずがまさかの初戦敗退。調整予定が狂った間瀬監督は「負け方が悪すぎる」。 一方完投したジェイプロジェクトの右腕・井田(愛知産業大出身)は、数日前まで深夜まで無数の焼き鳥をさばいての登板。「トヨタに勝てて自信になる」と、うれし涙で目が真っ赤。【黒尾透】
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く