2018年1月31日のブックマーク (2件)

  • デザインと言語化|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi

    何かをちゃんとデザインしようとすれば、様々なことを言語化することを想像以上にはるかに多く強く求められる。 いま誰を対象として考えているのか、問題をどのように捉えているのか、何を問題の原因と捉え、どのようにそれを解決しようと考えているのか。それはいったい、どのような価値がある何をデザインしようとしているのか。 これらを言語化するのは誰か説明するためというより、自分の想像力をより明瞭にするためだ。複数人でデザインに関わっているなら、チームとしてのイメージをクリアにするためである。 もちろん、デザインには言語化するよりもそれ以外の方法を取った方がいい部分はたくさんある。ただ、そうしたものを除いても、デザインの過程においては言語によって明らかにすべきことは想像をはるかに超えてたくさんある。 わかるということは、次に何のアクションをすればよいかがわかること例えば、自分が何のためにデザインしようとして

    デザインと言語化|棚橋弘季 Hiroki Tanahashi
    towerman
    towerman 2018/01/31
    言語化の限界を知らないとデザインは成立しない。
  • 日本はなぜ芸術に金を出さない

    全体的な風潮 私の地元には教育を除いて美術系の学校がない。 周囲3県にもないので海を渡る必要がある。 にも関わらず国際芸術祭だの音楽祭だのを定期的に開催している。 県内で学生を育てるつもりはないが、いかにもな芸術は歓迎しているのだ。 理解があるのかないのか、よく分からない。 芸術理解についてロシアを例に上げるが、 4~10歳で入学できる芸術学校がわんさかあり、教育費も中流家庭でも払える程度だという。 それ故に競争は激しいが、全力で競いあえるので羨ましい限りである。 そこまでは全く望まないが、 芸術での成功というのは、小さいうちからの教育と才能が大きく占めるので、 早い段階で支援されるのならされたい。 日教育というのは、平らに均して押さえつけるのが今でも一般的。 もう戦後どれだけ経ったのか、ちょっと考えれば均す必要が一切ないと気付くはずだ。 義務教育が確保されているのだから、そろそろ自由

    日本はなぜ芸術に金を出さない
    towerman
    towerman 2018/01/31
    まずはその「芸術」の定義から。