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生活と東京に関するtoyaのブックマーク (5)

  • 東京に来て驚いたこと - ドイツ語教員が教えながら学ぶ日々

    春は新生活の季節 4月から大学に入って一人暮らしを始める人、転勤等で新たな場所に移ってきた人など、4月は新生活の季節です。大学教員の世界では、国立大学などの場合9月や10月から着任する人もいますが、まあ、一般的に引越しシーズンといえば年度末ですね。 もう25年以上前になりますが、私も1年間の浪人生活を終えて東京の大学に通い始めたときのことをよく覚えています。大宮(さいたま市)での浪人生活についてはこちらに書きました。 schlossbaerental.hatenablog.com 4月に新入生たちの表情を見ていると、自分が96年の春に大学に入って頃、どんなことを感じていたのかをいろいろ思い出してくるのです。 今回はあのころ19歳の自分が東京で驚いたことについて回想してみました。 大学が決まるのが遅かった 予備校通いは終わったものの、私は3月末まで進学先が決まっていませんでした。某一流私学の

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  • 上京してきて年収350万円で五反田の山手線の内側に住んでた

    http://anond.hatelabo.jp/20140416203932 元増田を読んでふと思い立って。 ちなみに現在は東京に出てきて10年がたち年収は1000万近く(超えてはいない)になり結婚、子供も出来たので川崎近郊に一軒家を買っています。 ここで書いているのは10年前~4年ほど前のお話しです。 当時は会社が恵比寿にあり、業種柄デスマになりがちのためとにかく近いところ、と言う点で最初は大崎に住みました。 大崎はご存じの方もいらっしゃいますが山手線の外側は少し歩けば閑静な住宅街です。 駅から徒歩5分のボロアパート(築45年)でしたがなんと家賃は6畳一間で7万円。強気すぎる。 収入の1/3は家賃で消えます。 室温と外気温がおなじになるというスキマだらけの部屋です。選択した理由はただ一つ、風呂トイレが別という点だけ。 押し入れの壁は紙で出来ています。突っ張り棒で穴が空きました。 お風呂

    上京してきて年収350万円で五反田の山手線の内側に住んでた
  • 年収500万で銀座に住んでた

    自分自身年収500万あれば十分に足りるし、500って相対的に貰っている方だと思うが...… 1,000万あっても(彼らの納得いく物件には)なかなか住めないらしい中央区は銀座に住んでいたことがあるのでその頃の思い出を語る。 実家は都心ではないが交通の便がよく、なかなか出る気にならなかったが、都心だったら住んでも良いかなと思っていた。いちいち都心まで出て行くのが面倒だったし、旅行したときには周辺よりも中心部にホテルを取る癖があり、時差ボケなので早朝起きて誰もいない繁華街を歩くのが楽しいのだ。歌舞伎町や渋谷も面白そうだが治安が悪いところと夜うるさいのが嫌だったので、手始めに銀座にしてみた。 まず住居について。一体どこに住むのか? 昭和通りと外堀通りの間も『銀座』ではあるが、そこにはまず人は住んでいない。オフィス用の物件ならあるかもしれないが、とにかくオススメも出来ない。ゴミの回収が朝7時半までな

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  • 地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて - mizchi log

    都会に住む人間は、その価値を過小評価している。というのが僕の持論だ。そしてそれは東京に6年住んでより強固になった。 都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想 http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20130115/1358204323 この記事の感想としては、およそ渋谷に特徴的な衛生問題が多いという事実には同情するとしても、常になにかしらの機会が与えられていることを無自覚だ、という点が地方の人間を刺激するだろう。 子供用の自転車が買えなかったとしても、買える距離に生きているのだ。さすがに子供用の自転車ぐらいは田舎でもみつかるが、嗜好品の類はそもそも手に入るかが怪しい。 今ではインターネットで緩和されたとはいえ、それを実際に目にする機会があるかという点において、それを好きになる機会すら与えられないかもしれない。 表題は、地方出身者を最も怒らせる一言である。 僕は、18歳

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  • 都心住まいの価値とは何か - よそ行きの妄想

    みなさんご存知の通り、都心の地代は高い。実に。 しかし果たして当にそれだけの価値があるものなのか、都心住まいというものは、という話である。今日はそのあたりについて考えてみたい。 かくいう私の生家は渋谷から歩いてまあ15分程度、都心といえば言えなくもない立地にある。今でもそこに住んでおり、家賃というものを支払っている事実はない。従って、都心の地代が高かろうが安かろうが関係ないと思われがちな立場だ。 とは言え、である。 もし都心住まいの価値が不当に割高に評価されているのであれば、私は、今の家を高値で売り払って郊外で悠々と暮らすことが合理的だということになるだろう。 つまり、私は家を売却してしまうという選択肢に関する機会費用を、常に負担していると言える。であれば、都心住まいの当の価値には、やはり人一倍敏感で然るべきなのだ。 で、渋谷。 渋谷から徒歩圏というと便利だなんだと持ち上げられることが

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