アーキテクチャが許してくれない「新しい私」の構築 90年代の終わり頃、ネットは明確なパブリックな空間だった。あの頃は企業も団体もHPから情報発信・提供するだけ。それこそweb1.0だった。ネットはあくまで個人の参加で作り上げられており、ある種ボランタリーな世界であった。そんなパブリックなインターネット空間への貢献意識のあらわれがフリーウェア文化やネットコミュニケーションの文化にはあったと思うが、それが機能していたのは2ちゃんねるまで。 そもそも私は2ちゃんねるを非常に高く評価している。あの場はある種、ネットという公共空間において私達のアイデンティティの在り方がどう変わっていくのかがひとつの答えだったのかなと思っている。 2ちゃんねるが素敵だったと思うのは、バックグラウンドにある現実世界の「自分」を一切排除した新しい参画の場を作り出したこと。そこに低いハードルで参画できることを保証した。論理
前の記事 迷惑メールは儲かる:1日40万円の売上げも 東京で無言の「すれ違い通信」が流行る理由 2009年10月 6日 Chris Kohler Photos: Jon Snyder/Wired.com 東京発――秋葉原にある巨大なヨドバシAkibaの外では、数百人に上るゲーマーたちが、珍しいキャラクターやバーチャルな宝物を求めて毎日集まっている。 集まったゲーマーたちは、歩道を確保しようとする店員らによって安全柵の中に誘導され、専用に確保された場所で押し合いながら立つ。誰もが『ニンテンドーDS』を手にして、今年最もホットな新作ゲーム『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』[開発元はレベルファイブ、発売元はスクウェア・エニックス]に没頭している。 彼らは他のアバターと会うため、そして望むらくは貴重な宝物を集めるために、キャラクターのデータを交換し合っているのだ。 「ここにはみんな、朝のすごく
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