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ナイジェリアに関するtsh71のブックマーク (2)

  • ナイジェリア北部の暴動による死者、200人超える 人権団体

    ナイジェリア北部カノ(Kano)で、暴動を第1面で報じる新聞を読む人々(2011年4月20日撮影)。(c)AFP/SEYLLOU DIALLO 【4月21日 AFP】大統領選の結果をめぐりナイジェリア北部で始まった暴動による死者は、これまでに200人以上に達したもようだと、同国の有力な人権団体「Civil Rights Congress(人権会議)」が20日明らかにした。 北部カドゥナ(Kaduna)に拠点を置く同団体が、これまで寄せられた報告をもとに死者数を推計し、AFPに明らかにしたもの。 暴動による避難民は4万人近くに達しているとみられ、その多くは軍や警察の敷地内に避難している。病院で手当てを受けている負傷者らは、「なたで斬りつけられた」「こん棒で殴られた」など、被害の状況を語っている。赤十字社(Red Cross)によると、負傷者は410人程度にのぼっている。 カドゥナ州では19日

    ナイジェリア北部の暴動による死者、200人超える 人権団体
  • 40年前に終結のナイジェリア「ビアフラ戦争」、教育現場はいまだに「腫れ物にさわる」扱い

    ナイジェリアのかつてのビアフラの街、オニチャ(Onitsha)で、ゴミ捨て場の横を鼻をつまんで通る高校生ら(2005年12月6日撮影)。(c)AFP/PIUS UTOMI EKPEI 【5月22日 AFP】民族間および宗教間の一触即発状態の対立により連邦制がすでに脆弱化(ぜいじゃくか)しているナイジェリアでは、40年前のビアフラ戦争はいまだに、国を「波乱含み」にさせる要因を含んだ話題だ。この戦争について取り上げない教科書も多い。 ビアフラ戦争は、イボ人(Igbo)が多く住む石油埋蔵量の豊富な南東部がビアフラ共和国として独立を宣言した1967年7月に始まった。ビアフラのオジュク(Emeka Odumegwu Ojukwu)将軍によるこの独立宣言後、ナイジェリア連邦政府軍との戦闘が開始され、イスラム教徒が多い北部では数千人のイボ人が虐殺にあったとされる。戦争は1970年1月にビアフラ側が無条件

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