2019年8月28日のブックマーク (1件)

  • 先崎学九段が明かす「羽生善治が将来を語り、米長邦雄が涙した日々」(小島 渉) @gendai_biz

    トップ棋士が言いたい放題、騒ぎ放題。だからこそ垣間見えた音の姿に惹きつけられ、若手が先輩と盃を重ねた。「昭和の将棋指し」をもっとも受け入れた場所、それが前回の記事で取り上げた酒場「あり」だった。後編のインタビューに応じた先崎学九段は49歳で、20代前半のときから「あり」の常連客だった。2014年に「あり」が閉店し、将棋界から消えたものは何か。先崎九段は「藤井聡太ブームとは異質の、荒くれものの将棋指し」と指摘する。 5時間の棋戦を終えて飲みに繰り出す 初めて新宿2丁目の「あり」に行ったのは、先輩に連れられてでした。ほかの酒場と違い、「あり」は一流棋士がいくところ。ものすごく緊張しましたけど、それまで記録係として仰ぎ見る存在だった棋士を間近で、しかも酔っぱらったところを見られるのは新鮮でしたし、自分がこの業界の一員として扱われていることに喜びを感じました。 若造を相手に時に威張ったり、愚痴っ

    先崎学九段が明かす「羽生善治が将来を語り、米長邦雄が涙した日々」(小島 渉) @gendai_biz
    tsubasanano
    tsubasanano 2019/08/28
    “当時は持ち時間が5時間以上の棋戦が多く、感想戦を終えると終電間近。ほかの対局者もだいたい終わる時間が同じだから、人を誘いやすかったんですよ。深夜にみんなで疲れ切って飲む酒でした。”