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scienceとriskに関するtsuka_ryoのブックマーク (2)

  • リスク評価は意思決定を支える柱の一つにすぎない - Take a Risk:林岳彦の研究メモ

    まだ論文がぜんぜん書けてない*1のでぜんぜんアレなのですが(参照)、自分の頭の中のモヤモヤを整理するために「リスク評価と意思決定」についてちょっと書いてみたいと思います。 今回は学問的に確立した話というよりも、実務寄りのリスク研究者としての経験的な感覚に寄り添いながら書いてみたいと思います。(リスク研究者の代表として書くわけではなく、あくまで個人的見解として書いていきます) リスク評価は意思決定を支える柱の一つにすぎない まず整理したいのは「リスク評価は意思決定を支える柱の一つにすぎない」ということです*2。 私の頭の中のイメージをざっくり書くとこんな図になります: つまり、リスクに関する「意思決定」は、一般論的にざっくり言うと「リスク評価」「費用対効果」「倫理(スジ)」の三の柱によって支えられてるということです。 ここで「リスク評価」というのはたとえば「要因Xにより死亡リスクがY%上昇

    リスク評価は意思決定を支える柱の一つにすぎない - Take a Risk:林岳彦の研究メモ
  • 低頻度高被害型リスクについて考える(2/3):不確実性の問題 - Take a Risk:林岳彦の研究メモ

    前回に引き続き、今回も 「10日に1度の確率で10人が死ぬ事象」と「10万日に1度の確率で10万人が死ぬ事象」は、どちらも「1人死亡/1日」という同一の表現で表すことができるけれども、それは当に同一なリスクとみなして良いのだろうか? という問いについて考えていきます。 実務的な観点から見ると、それらの事象から得られる「1人死亡/1日」という推定値に関しては、値そのものは同じだけど、その値や推論の「素性」はかなり違うよなーという印象を受けます。 今回は、そんな印象について「推論法の違い(帰納メインか演繹メインか)」および「不確実性の違い」という観点から説明してみたいと思います。説明のためにちょっと原理的なところから話をはじめますので、今回もかなり回り道をした長い説明になりますが当にすみません(平謝り)。 2つの推論方式:帰納的推論と演繹的推論 まず、そもそも推論方式には大きく分けて「演繹

    低頻度高被害型リスクについて考える(2/3):不確実性の問題 - Take a Risk:林岳彦の研究メモ
    tsuka_ryo
    tsuka_ryo 2011/07/16
    "リスク分析の立場から見たときの「低頻度事象」の特徴は、「統計が(安心しては)使えない」"
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