はじめに断っておくが、僕はともさかりえに恋したことはない。それどころか、僕は彼女について、何一つ語るべき言葉を持っていないのだ。かろうじて、顔がうつみ宮土里に似ているナア……というような感想を持つくらいである。僕にとって、ともさかりえは「語るもの」ではなくて、常に「語られるもの」だった。椎名林檎は、彼女を評して、「きれいで儚い人」だと語った*1。伊集院光は、「微妙な顔なのに美人扱い」「顔が曲がっている」といったような、かなりひどいことをラジオで喋っていた。(深夜の馬鹿力でそのようなことをよくネタにしていたように記憶している)。そのどちらも、僕にはいまいちピンと来なかったのだけれど、不思議に心の隅にひっかかってしまって、今日に至るまで忘れることができなかった。ともさかりえ自身よりも、ともさかりえについて語る彼らのことが気になっていた。僕には、彼らがともさかりえにかこつけて、他の何かを語ろうと