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本能寺の変に関するtsupoのブックマーク (3)

  • 「本能寺の変」の真意は室町幕府再興?明智光秀の密書原本が発見されて驚き&さまざまな考察が寄せられる

    リンク 産経WEST 光秀の狙いは室町幕府再興か 「能寺の変」10日後の書状原発見 戦国時代の武将、明智光秀が「能寺の変」で主君の織田信長を討った10日後に、反信長派の豪族に宛てた書状の原を発見したと、三重大の藤田達生教授(日史学)らが1… 14 users 910 リンク 毎日新聞 明智光秀:密書の原発見 能寺の変直後、反信長派へ - 毎日新聞 能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはし・しげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。【松宣良】 17 users 1240

    「本能寺の変」の真意は室町幕府再興?明智光秀の密書原本が発見されて驚き&さまざまな考察が寄せられる
  • 本能寺の変は室町幕府再興が目的か 光秀直筆の書状を確認 | NHKニュース

    戦国武将の明智光秀が能寺の変を起こしたのは室町幕府の再興が目的だったとする研究成果を、新たに確認された光秀直筆の書状を基に三重大学の研究者がまとめ、光秀が主君の織田信長を討った動機をめぐる研究の進展が期待されます。 これまで写しだけが残されていましたが、三重大学教育学部の藤田達生教授が調べたところ、筆跡などから光秀直筆の原と確認できたということです。 書状は「六月十二日」の日付があり、位の高い人という意味の「上意」という言葉を使って、その人物が「御入洛」、つまり京都に来ることになると伝えています。 藤田教授によりますと、日付は能寺の変の10日後にあたり、信長によって追放されていた室町幕府の将軍、足利義昭が京都に戻って来ることを意味しているということです。 藤田教授は書かれた日付や内容から、光秀が室町幕府を再興させるために能寺の変を起こし、主君の信長を討ったのではないかと指摘していま

    本能寺の変は室町幕府再興が目的か 光秀直筆の書状を確認 | NHKニュース
    tsupo
    tsupo 2017/09/13
    「この書状は光秀が今の和歌山市付近で織田信長に抵抗していた土橋重治という人物に宛てたもの」
  • 明智光秀:密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ | 毎日新聞

    能寺の変で織田信長を討った重臣の明智光秀が、反信長勢力とともに室町幕府再興を目指していたことを示す手紙の原が見つかったと、藤田達生(たつお)・三重大教授(中近世史)が発表した。変の直後、現在の和歌山市を拠点とする紀伊雑賀(さいか)衆で反信長派のリーダー格の土豪、土橋重治(つちはし・しげはる)に宛てた書状で、信長に追放された十五代将軍・足利義昭と光秀が通じているとの内容の密書としている。【松宣良】 藤田教授によると、書状は岐阜県の美濃加茂市民ミュージアムの所蔵。和歌山県内で伝えられ京都府の古書店に渡ったものを美濃加茂市の篤志家が入手して寄贈したという。

    明智光秀:密書の原本発見 本能寺の変直後、反信長派へ | 毎日新聞
    tsupo
    tsupo 2017/09/13
    「義昭との関係を復活させた光秀が、まず信長を倒し、長宗我部や毛利ら反信長勢力に奉じられた義昭の帰洛を待って幕府を再興させる政権構想を持っていたのでは」
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