学生時代、障がい者に対して行っていた“イジメ発言”が大炎上し、2021年7月から音楽活動を自粛していたミュージシャンの小山田圭吾が活動を再開した。今夏はフジロック、ソニックマニアという2大フェスに同時出演。その異例ともいえる復活劇の背景と、一方的に切り取られた情報がネット空間で大炎上したプロセスを、批評家の片岡大右氏が3回にわたって検証する。 異例の措置による活動再開 昨年7月、東京五輪・パラリンピック開会式の音楽制作担当者の一人として小山田圭吾氏が告知されるや、ただちに学校時代のいじめをめぐる1990年代の雑誌での発言がSNSで取り沙汰されることとなった。そしてそれは度重なる報道を通していっそう広く周知されるに及び、ついには辞任を余儀なくされたことは、いまだ多くの人の記憶に新しいことと思う。 五輪だけではない。長らく音楽を担当してきたNHK Eテレの人気番組「デザインあ」は放送休止、音楽
前回も触れたように、昨年の騒動のきっかけとなったいじめをめぐる小山田発言の出典は、1990年代の2つの雑誌だ。第一に、『ロッキング・オン・ジャパン』(以下『ROJ』)1994年1月号。そこではとりわけ、自慰と食糞の強要というショッキングな加害が、いかにも軽々しく響く謝罪の言葉とともに語られていた。 ところが小山田氏は、同誌(アーティスト側に事前の原稿確認をさせない方針で知られる)の発売当時からこの記事に深く困惑し、それを複数の機会に公言していた。というのも実際には、食糞のくだりは、何でも食べてしまう小学校時代の級友が、犬の糞を食べてすぐに吐き出したのを笑いながら見ていたというエピソードにすぎないというのだ。 一方、自慰強要のほうは、元上級生の暴走をうろたえながらも傍観していたエピソードなのだという。いじめにおける傍観者の責任は悩ましい問題だとはいえ、小山田氏に憤りを集中させるべきだとも思え
前回の記事(小山田圭吾が炎上した“イジメ発言”騒動。雑誌編集部の「人格プロデュース」は罪か?)で指摘したとおり、1990年代の2雑誌の記事に関しては、それぞれの編集部の責任を無視できないのは当然としても、小山田氏の側に反省すべきところが大きいこともまた、否定しようがない。しかし昨夏の騒動の直接の背景にあるのは、21世紀におけるウェブ空間の展開だ。 まずは巨大匿名掲示板2ちゃんねる(今日の5ちゃんねる)をはじめとするアンダーグラウンドなウェブ空間において、『ROJ』のいじめ発言の引用が広められ(以下、「2ちゃんコピペ」)、小山田氏をめぐる歪んだイメージが、そうした空間に出入りする人びとの間で強化されていった。これは今日「エコーチェンバー」現象として知られる事態にほかならない。 全世界に開かれているはずのインターネット空間のあちこちに小さな閉鎖空間が生まれ、そこが共鳴室(エコーチェンバー)のよ
過去のいじめ問題をめぐり、東京五輪開会式の楽曲制作を辞任したミュージシャンの小山田圭吾(52)。しかし騒動は収まりそうにない。さらに不適切な発言が掘り出され、他の番組にも波紋が広がっている。全世界にも知れ渡ることになり、今後の活動には暗雲が立ち込めている。 ネット上では、小山田の記事が上がるたび、コメント欄に辞任を求める批判であふれた。騒動の当初は、芸能人からも一部で擁護する声が上がったが、猛批判を前にかき消されてしまった。 「陰惨な、しかも障害者へのいじめということもさることながら、分別がつくはずの大人になってから、それを面白おかしく語ったことでアウト。その後、何の謝罪もなく、この期に及んで謝罪したところで、世間は納得しないでしょう。税金が投入される公のイベントに名前を連ねるのが厳しいのは当然」と音楽関係者は手厳しい。
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