ここ10年間、ほとんど3割30本塁打を記録している小笠原。どの打順に入ってもバントが少ないことでも有名 わからない選手だ。 巨人の小笠原道大のことである。 私事だが、私は小笠原と同い年だ。小笠原も私も千葉県出身。しかも同時期に県内の高校で野球部に所属していた。 だが私も含め、私の周りの野球仲間も当時の小笠原を記憶している人に遭遇したことがない。 小笠原の母校である暁星国際は、ちょうど小笠原の年代から野球に力を入れ始め、彼らが2年生のとき、全国高校野球選手権大会の千葉大会で準優勝を果たしている。ちょっとした番狂わせだった。 だが、のちに日産自動車を経由してヤクルトに入団したエースの北川哲也以外の記憶は、まったくといっていいほどない。 日本ハムに入団した時も薄かった存在感。 そのころの県内では、東京学館浦安の石井一久(西武)が知名度では群を抜いていた。石井は前評判通り、高校卒業と同時にドラフト