2019年2月3日のブックマーク (3件)

  • 沖縄1935 写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル

    糸満の漁師や軌道馬車、活気ある那覇の市場 ––––。1935年に沖縄県で撮影された写真が、朝日新聞大阪社で大量に見つかった。沖縄の人たちの生き生きとした暮らしぶりを写しだす。太平洋戦争末期の沖縄戦によって10年後には破壊されてしまった光景が、沖縄タイムスとの共同企画で82年ぶりによみがえる。 写真の購入はこちら朝日新聞フォトアーカイブ

    沖縄1935 写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル
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    2020年05月08日 10時56分 明るい世界を求めてしまう土谷優衣 ジョージ・オーウェル/新庄哲夫訳「一九八四年」 小学生の頃に「アンネの日記」を読んだことをきっかけとして、第二次世界大戦時の全体主義というものに興味を持ち始めた。それに関連するや・・・ 続きを読む 2019年12月17日 03時11分 科学でも愛をJUNYA エンリケ・バリオス「アミ小さな宇宙人」 「わかったかい? 遊びか、おとぎ話のようにして、ほんとうのことを言うんだ」 真実と呼びたいくらいの誠実さを笑われた経験は数え切れな・・・ 続きを読む 2019年11月13日 16時55分 2035年の世界。さわ 旺季 志ずか「虹の翼のミライ」 人々が“今”の幸せだけを考えて生活し続けた結果。2035年の世界では、海が黒く濁った泥水の塊と化し、それに伴って雨水も毒され、農作物・・・ 続きを読む

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  • 研究者を辞めた時のこと、そしてその後のこと - 渋谷駅前で働くデータサイエンティストのブログ

    TL;DR これは、このブログの題とは何の関係もない僕自身の回顧録にして懺悔録であり、見ようによっては怪文書です*1。故に、記事中には何の参考になる内容も書かれていないことを予めお断りしておきます。それでも良いという方だけ、この先をお読みください。ただしTL;DRと書いた通りで、超長文につきご注意を。 当時から7年が経ち、この中に登場する人物の中には既にリタイアしている人もいれば、物故している人もいます。ある意味もう時効だろうということで、その時起きたことをつぶさに書いてみることにした次第です。 研究者を辞めた時のこと 研究者の道を目指した理由 正直言って無能だったが、勉強だけは熱心なポスドクだった ポスドク待遇改善運動、研究体制改革運動を経て、業界では知らぬ者のないお尋ね者になった そしてポスドクをクビになり、国内に行き先がなくなった 土壇場でシンガポールでのjob talkに招かれた

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