毒親とACに関するtsuyu-kusaのブックマーク (6)

  • 貰えなかった母親の愛を今も求めている - 考えるつゆくさ

    母親から愛を貰えなかったことが40代になっても未だに哀しい。多くの人が母親から貰った愛を心の土台にして、強く明るく生きている。一方、愛を貰えなかった人の心には、その土台がない。だからいつも心は不安定で弱い。 母親からの愛は、その人が生きていく上での自信になり、自己肯定になり、力になり、安心感となる。母親からの愛がないと、自信がなく、自己をいつも否定し、無気力で、不安に苛まれてばかりいる人生になる。私の中の当の私は、毎日、いつでも、うずくまって泣いているし、怖がって震えているし、何もかもが嫌で耳を塞いでいる。 でも、表面の私はそうは見せないために必死になっている。自信、自己肯定、力や安心感が、人並みにあるように見せるために、毎日、いつでも、忙しない。火を絶やさないよう風を送り続けるふいごのよう。普通の人のように見える人生が送りたい。泣いたり震えたり耳を塞いでいる姿なんて誰にも見せたくない。

    貰えなかった母親の愛を今も求めている - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/06/10
    普通の人のふりをして生きることに疲れた。疲れて、死んでしまいたいとよく思う。
  • エリート家庭の私の家はごみ屋敷だった - 考えるつゆくさ

    私の家はごみ屋敷だった。有名大学に勤めるエリートの父親で、家は閑静な住宅街にあり、娘は私立の中高に通っていると言えば、一見いい家のように見える。 しかし、実際のところは家の中では、母親は家事や育児を放棄し朝から晩までテレビの前に寝っ転がって菓子をいながらテレビを観たり寝たりしており、父親は書斎に引きこもって家族のことなど気にもかけず、兄弟も自室に引きこもって布団をかぶって寝ており、掃除機を何週間もかけられていない家の中はほこりにまみれ、風呂場は黒かびだらけで浴槽には垢がこびりつき、洗面所は汚れた洗濯物の山になり、リビングにもたたまれていない洗濯物が積まれており、台所はコンロもグリルも換気扇も油でどろどろに汚れ、流しには汚れた器が溜め込まれて汚水が貯まり、冷蔵庫の中はかびの生えた品や何も開封されている同じ調味料、トレイからこぼれだした肉片や腐って液体と化した野菜などであふれ返っていた

    エリート家庭の私の家はごみ屋敷だった - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/05/28
    子供をサポートしない、サポートするつもりが微塵もない親に育てられた子供の自己肯定感が低いのも無理はない。サポートしないというのは、子供を生かせるつもりがないということだ。
  • 娘の容姿を罵倒し、嘲笑する母親 - 考えるつゆくさ

    娘を罵倒し、嘲笑するのが、母にとって日々の喜びだったのだろうと思う。子供だった私の一挙手一投足のみならず、容姿までも罵倒され、嘲笑されてきた。だから私は幼いころから「自分はひどく醜い人間なんだ」と思い込まされていた。 容姿について、母から以下のような罵倒・嘲笑をされてきた。 「あんた、目が大きすぎて、おばけみたいで気持ち悪い」 「手足が長すぎて、骸骨みたいで気持ち悪い」 「体が細すぎて、まるで餓鬼だね」 「顔が細すぎて、首も細すぎて、病人と同じ」 「出っ歯で、河童みたい」 「鼻が低くて、笑われる」 「くまがあって、おかしい」 「髪を結ぶと、ひっつめした女中みたい」 「陰気くさい顔で、どんどんブスになる」 そして娘の鼻に洗濯ばさみを挟んで嘲笑ったり、鼻の下を指で押して「(出っ歯が)引っ込め、引っ込め」と馬鹿にしながら歌ったりしていた。スイミングスクールで水着を着ていた私を見て、「体が細くて、

    娘の容姿を罵倒し、嘲笑する母親 - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/05/18
    子供だった私の一挙手一投足のみならず、容姿までも罵倒され、嘲笑されてきた。だから私は幼いころから「自分はひどく醜い人間なんだ」と思い込まされていた。
  • 贈りたいと思える母親がいない それは子供のせいではない - 考えるつゆくさ

    雑貨屋に入るともう母の日のコーナーが設えられていて、カーネーションが描かれた綺麗なハンカチが飾られていた。薔薇や紫陽花が描かれているものもあった。パステルカラーのピンクや紫の美しい扇子も置いてあった。 こんなに綺麗で美しい品々を、買って贈りたいという気持ちになった。でも私には買って贈りたいと思えるような母親がいないと思うと、哀しくなって涙が出た。 贈りたいと思える母親がいたなら、どれだけ幸せなことだろう。「あら、いいわね」と喜んでくれて、その顔を見てこちらも嬉しくなれたなら、どれだけ幸せなことなんだろう。 私だって、当は、母の日に贈り物をする娘になりたかった。 いわゆる“いい子”だった私は、子供の頃から、病で倒れる30代半ばまで、事あるごとにせっせと母親に贈り物をしてきた。 しかし彼女の口から放たれるのは「あんたは何もしてくれない!」「あたしは子供に恵まれなかった!」「あんたは親不孝だ

    贈りたいと思える母親がいない それは子供のせいではない - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/04/08
    母の日に母親に贈り物をしたいと思える人は幸せだ。それはその人が決していい娘や息子だからではない。そして母親に贈り物をしたいと思えない人は、決してその人が悪いわけではない。
  • 子供なんて死んでもいい 食事を用意しない毒親 - 考えるつゆくさ

    事をまともに用意してくれない母親だった。べることは生きること。子供なんて死んでもいいと思っていたのかもしれない。 小学生の時、私は朝、何もべずに出かけていた。彼女は朝を出さないくせに、家を出ようとする私の背中に「何もべないと貧血になってみんなの前で倒れるよ!」「何もべないとみんなに口が臭いって言われるよ!」などの脅しや嫌味の言葉だけは存分に浴びせかけた。 私は給をできるだけたくさんべた。何度もおかわりした。「痩せの大いだね」とクラスメイトに言われたが、そうせざるをえなかった。家に帰ってもおやつなんて出されたことはないし、夕飯だっていつべられるかもわからなかったからだ。 彼女が毎日、事もまともに用意せずに家で何をしていたかというと、リビングにあるテレビの真ん前に寝転がって、又は立膝をして座り込んで、げらげらと下品に馬鹿笑いしながら、音をたてて緑茶をすすり、お菓子をぼろぼ

    子供なんて死んでもいい 食事を用意しない毒親 - 考えるつゆくさ
  • 「毒親」「親ガチャ」と言うほかない実態がある - 考えるつゆくさ

    毒親」とか「親ガチャ」という言葉に目くじらを立てる人たちがいるが、彼らは新聞を読んだりニュースを見たりしない人たちなのだろうか。親による子供の虐待の報道があれほどなされているのに。それとも、そういうのを読んだり見たりしても、心を動かされることも、何か深い思考をするようなこともできない人たちなんだろうか。 私の毒親である両親のこんなエピソードを読んでも、目くじら人たちはまだ「親」と呼ばれる人たちのほうが正しいと思うんだろうか。以下は二千三千、おそらくもっとある、彼らの醜く愚かしいエピソードの中のひとつです。 -------------- 東日大震災の日、東京郊外の私の町でも残念ながら1名の方が亡くなられた。ちょうど訪れていらした都心の会館の天井崩落によるものだった。夜にはその方のお名前が、住まいである私の町の名前とともに報道されたようだ。 翌日、朝から私の母親が町内会名簿や町内の地図、電

    「毒親」「親ガチャ」と言うほかない実態がある - 考えるつゆくさ
    tsuyu-kusa
    tsuyu-kusa 2022/02/17
    「毒親」とか「親ガチャ」と嘆くほかない子供たちに対して、まだ「わがまま」だとか「甘えてる」だとか「言い訳するな」だとか「もっと不幸な子供は世界中にいる」だとか言うんだろうか。
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