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池田信夫に関するttokanoのブックマーク (3)

  • テレビの終わりの始まり

    年末年始は、まったくテレビを見なかった。たまに数分つけると、どの局も晴れ着の芸能人が出てきて楽屋落ちで騒いでいる。この極端な白痴化の原因は、広告収入の落ち込みだ。先日ある放送業界のシンポジウムで民放の人々に聞かされたのは、コスト節約圧力の強さだった。「数字を取るのは簡単なんですよ」と、あるディレクターは言った。「プライドを捨てればいいんだから」。 テレビの視聴者は1000万人単位なので、何が受けるかは出す側にはわからない。こういう場合、なるべくレベルの低い視聴者をねらうのがコツだ。NHKの場合は、池上彰さんのように超初歩的なことから解説する。民放もそれに気づいたらしく、この年末年始は池上さんが引っ張りだこだった。彼が悪いといっているのではない。テレビの平均視聴者は「こどもニュース」ぐらいなのだ。 民放の場合は、日テレビの土屋敏男さんのいうように「馬鹿にどう見せるか」を考える。コストを節約

    テレビの終わりの始まり
    ttokano
    ttokano 2011/01/04
    "これは日本の会社の置かれている状況の典型である。過去の成功体験から逃れられず、ビジネスモデルを変えないで品質管理に手を抜き、人件費を削減し、下請けを買いたたく。横並びでゆっくり沈んでゆく限り経営者…
  • 政策と政局 : 池田信夫 blog

    2011年01月01日17:03 カテゴリ 政策と政局 朝生でも話題になったのは、民主党内のゴタゴタが毎日報道されることにうんざりしているという話だが、これは別に民主党に限った話ではない。丸山眞男は50年前の書で「日の新聞社の政治部は『政界部』だ」と語り、それは日政治が西洋で想定されている法の支配とは異なり、「顔」とか「腹」などの人間関係と切り離せない「肉体政治」だからだと(冗談めかして)述べている。 会社はcompany、政党はpartyだが、いずれも原義は特定の目的のもとに友人が集まった結社(Gesellschaft)である。近代社会の特徴は、このように契約によって人工的につくられたフィクションとしての組織が中核をなす点にあり、それは圧倒的多数の社会が自然な共同体(Gemeinschaft)であるのと対照的だ。日は明治期に法律や制度だけをゲゼルシャフトに変えたが、その根底に

    政策と政局 : 池田信夫 blog
    ttokano
    ttokano 2011/01/01
    "はっきりしているのは古い共同体に戻ることはもう不可能だということだ。たぶん一度、徹底的に壊れたところから個人が自立するしかないだろう。"
  • 「ネット世論」という幻想 : 池田信夫 blog

    2010年09月17日15:27 カテゴリメディア 「ネット世論」という幻想 ツイッターで「ネット世論なんて、ごく一部の偏ったサンプル」だと書いたら、意外に多くの反発があったので、自明のことだが書いておこう。 菅原琢氏も指摘するように、「ネット世論」なるものは、特定のウェブサイトに集まる人々が1人で何度もクリックできる人気投票で、データとしての信頼性はまったくない。かつての「麻生人気」も幻想だったし、今回の「小沢人気」も選挙結果には反映されなかった。これを「新聞社の調査もごく一部の声では?」と同列に置くのは、統計学を知らない妄言である。実際の選挙結果には後者のほうがはるかに近く、今回の代表選でもそうだった。 両者に大きな差があるのは、「ネット世論」にバイアスがあるからだ。たとえばニコニコ動画に小沢氏が出演したあとの人気投票で彼が78.5%を取ったのは、もともと彼に好意をもつ視聴者が小沢氏の

    「ネット世論」という幻想 : 池田信夫 blog
    ttokano
    ttokano 2010/09/17
    完全に同意。
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