福田恆存の近代化論をめぐって さる八月の福田恆存読書会で、全集第七巻所収の「醒めて踊れ」が取り上げられた。演劇論的人間観に立って、日本人にとっての精神の「近代化」とは何かを論じたこの文章を読み、また、この読書会の世話役をしておられるY氏がまとめられた各種のレジュメを拝読して、いくつか解明したい事柄に思い当たった。 Ⅰ まず、Yさんの永年の福田読み込みの成果ともいうべきオリジナル・テキストを参照しながら、西洋精神史と近代日本との関わりについての福田の見解を整理・紹介したい。なお、以下の「 」は福田の文章からの引用、( )内はYさんまたは筆者の注記。 福田は、ロレンスを敷衍して、人間は集団的自我と個人的自我を持つと述べる。集団的自我とは、家族、企業、国など、様々の集団に属してその中で必要な役割を演じる自我であり、個人的自我とは、そうした集団に帰属させ得ない純粋な個人としての自我である。人間は、