タグ

ブックマーク / sportsnavi.yahoo.co.jp (6)

  • J1、15年から前後期制へ ポストシーズンで年間王者|ニュース|スポーツナビ

    Jリーグが2015年シーズンからJ1の前後期制と、各期優勝クラブや年間最多勝ち点のクラブなどが年間優勝を争うポストシーズン方式を導入することが確実になった。10日、複数の関係者の話で分かった。11日のJ1、J2合同実行委員会で意見をまとめ、17日の理事会で決定する。 ポストシーズンはまず前期優勝-後期2位と後期優勝-前期2位の組み合わせで行われ、勝ったクラブ同士が対戦する。その勝者が、前後期の合計で最も勝ち点が多かったクラブとチャンピオンシップ(仮称)を戦う。対象クラブが重複した場合でも、必ずチャンピオンシップがある仕組みとなる。 Jリーグは観客数の回復とスポンサー料や放送権料などの収入増を目指し、大会方式の変更を検討してきた。8月中旬にJリーグと日サッカー協会の幹部らによる戦略会議で絞り込んだ2案のうち、合同実行委では「前後期制+ポストシーズン」が推薦案として提出され、導入が固まる

    tumsong
    tumsong 2013/09/11
    こんなややこしいとあまり見たことない人には余計意味分からん状態になるだろ。ACL出るようなチームだと今以上に過密日程になりそうだけど大丈夫かこれ
  • 大谷翔平は「勇者」か「被害者」か?小宮山悟が日本球界入りを提言 - スポーツナビ

    ハムに1位指名され、困惑の表情を浮かべながら報道陣の質問に答えた花巻東高の大谷翔平=25日午後、岩手県花巻市【写真は共同】 高校卒業後にメジャーリーグを目指すことを表明した「160キロ右腕」大谷翔平(花巻東高)は、ドラフトで北海道ハムから1位指名を受け、まずは北海道ハムと入団交渉を行うこととなった。高校から直接メジャーに挑戦する大谷について、日米の球界で活躍した小宮山悟氏に話を聞いた。 ■ダルビッシュは「ダルビッシュ」になってからメジャーリーガーになった ――メジャー志望を明言していた大谷翔平は北海道ハムに指名されました。小宮山さんはメジャーを経験されていますが、彼の決断についてどのように思われますか? 人がどう思っているかが重要です。「アメリカで野球をやりたい」のか、「メジャーリーガーになりたい」のか。 大谷投手が今アメリカに行っても、ヨーイドンでメジャーリーガーに

    tumsong
    tumsong 2012/10/27
    ひとつの意見として。別に行くなといってる訳じゃないし、色々経験してる側からすると心配にはなるよなあ。
  • 世界で得た経験をこれからの糧に<後編> - スポーツナビ

    初めての海外挑戦となったパラグアイではリベルタドーレス杯にも出場。広山(右)は日における海外移籍の先駆者とも言うべき存在だ。【写真:ロイター/アフロ】 南米、欧州、北米と世界の主要サッカー大陸でプレーしたフットボーラーなど日にはめったにいない。そういう意味でも、広山望の生きざまは注目に値する。 初めてパラグアイに赴いたのは2001年。当時、すでに中田英寿や名波浩、小野伸二ら数人が欧州挑戦を果たしていたが、南米最高峰の大会であるコパ・リベルタドーレスに出場したのは彼だけだ。直後に渡ったブラジルでは、フラメンゴへの移籍話が立ち消えになり、チャンスをつかみかけたスポルチ・レシフェでも労働ビザが下りないなど、紆余(うよ)曲折を強いられた。それでも何とか欧州に移籍する幸運に恵まれ、スポルティング・ブラガやモンペリエでプレーする機会を得た。その両クラブは今季UEFAチャンピオンズリーグ(CL)に

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|6億円を稼ぐ=シリーズ東京ヴェルディ(3)(1/2)

    サッカークラブを大八車(だいはちぐるま)に例える。けん引するのはトップチームだ。荷台にはサッカーという名の商品が積まれている。選手の周囲をトレーナーやマネジャーなどのスタッフが忙しく動き回り、時にチームの人員が補充され、離脱者を出しながら大八車は前進する。監督、社長、ゼネラルマネジャーといった責任者は人材や商品を管理し、また進路を定める役割を担っている。三者の協議がうまくいかなければ、迷走は避けられない。 これを後押しするのはサポーターだ。直接的に手を貸す人がいれば、沿道で待ち構えて励ます人、見晴らしの良い高台からひたすら祈りをささげる人がいる。ある人は商品の品質にほれ込み、またある人は楽しげな雰囲気に誘われ、やがて同好の士となる。 大八車の車輪を回し続けるためには、人件費や車体のメンテナンスなど何かと費用がかかる。そこで、資金を調達するのが営業スタッフの仕事だ。スポンサーの協賛を募り

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|元日本代表FW久保竜彦、コーチとして新たなスタート(1/3)

    日本代表FW久保竜彦、コーチとして新たなスタート (1/3) 「“うまくなりたい”子どもの手助けを」 その男の表情からは、鋭さが消えていた。現役時代、ピッチ上で見せた相手を射抜くような瞳ではなく、まるで慈父のような温かさで、サッカー少年たちを見つめていた。 「ええ感じや」「うまいぞ」 何気ない彼の一言が、子どもたちを燃えさせる。打つ、打つ、打つ。とにかく、シュートを子どもたちは打ち続ける。その姿を、久保竜彦コーチはずっと見つめている。 サンフレッチェ広島や横浜F・マリノスで活躍した元日本代表FW、というだけでは表現しきれない記憶に残るストライカー。天空で止まっているかと思わせるほどの跳躍。「面倒臭いから」と後方からのロングボールをそのままボレーでたたき込む野性味と発想力。アフリカ系の選手を思わせる抜群の身体能力と寡黙だが素朴な人柄を、多くのサッカーファンは愛した。 それほどの大選

  • スポーツナビ | サッカー|Jリーグ|コラム|ベガルタ仙台の特別な1年、感謝の気持ちを忘れない(1/2)

    ベガルタ仙台はJ1で4位という好成績を残し、被災地の「希望の光」であり続けた。そこには多くの人の支援があったことを選手やスタッフは忘れていない【Getty Images】 「私たちは感謝を忘れない」 12月3日、ユアテックスタジアム仙台(以下ユアスタ)で行われたベガルタ仙台のホーム最終戦・ヴィッセル神戸戦後の感謝セレモニーで、選手たちが場内を一周した際、持っていた横断幕の中に、このような言葉があった。未曾有の大震災からは9カ月がたとうとしていた。 震災直後、ベガルタにかかわるすべての人々は、仙台でいつサッカーができるのかという不安に襲われた。しかし、ベガルタは日全国、そして世界各地から多大な支援を受け活動を再開し、無事にJ1リーグ戦、ナビスコカップ、天皇杯というすべての大会に参加できた。 ベガルタの選手・スタッフが震災後初めて再集合した3月28日、石巻市の高台にある日和山公園で津波

  • 1