大道の歌い手。最大の人気者「豊年斎梅坊主(松本梅吉)」梅吉7歳の頃、父が火事を見て灰が目に入り失明し、貧民窟に暮らす事を余儀なくされた。貧乏長屋には多くの大道芸人が住んでいた事もあり、梅吉も自然にその仲間に入っていった。世は幕末から明治へと一新された頃、梅吉は秋葉原(当時は原っぱ)等の街頭で阿呆陀羅経をやって人を集めては飴を売った。一座を引き連れそろいの浴衣で三味線、太鼓でカッポレ、伊勢音頭、阿呆陀羅経、掛け合い軽口(漫才に似た二人での話芸)等を踊り歌い語った。浅草の十二階演芸場をホームとしあちこちの寄席に出演する一流芸人となった。安政元年(1854年)生まれ、昭和2年(1927年)2月14日死去。