1960年代、米ソ間の宇宙開発競争が激化していった時代、ソ連では宇宙飛行士の選抜が始められ、ガガーリンも20人の候補生の一人に選ばれた。ガガーリンは他の飛行士たちとともに、宇宙飛行に必要な身体的・精神的耐久性をテストされながら、厳しい訓練を受けた。 ついに世界初の有人宇宙飛行が行われることが決まったとき、パイロットの候補はガガーリンとゲルマン・チトフのどちらかにしぼられた。最終選考の結果、選ばれたのはガガーリンだった。この決定は政府の上層部によって行われたが、決め手となったのはガガーリンが労働者階級出身にあることに加え温和で社交的な性格と、「ユーリイ」というロシア的な名前、そして労働者階級出身の英雄という点を強調しやすい生い立ちにあったという。 そしてついに、1961年4月12日、ガガーリンはボストーク3KA-2で世界初の有人宇宙飛行に成功した。
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