夏休み。 「花火大会までに、ゆかたを縫おうっと」と思って、布だけ買って、そのままほったらかし。 「やべ、どうしよ! ていうか無理!」なんて思っている方……いらっしゃらないでしょうか。 今回はそんなアナタにご提案。 「一枚や二枚の布を結ぶだけで、簡単に作れるドレス」をご紹介します。 いやあ、和風な生地で、前々から挑戦してみたかった「アフリカ式ファッション」をやってみたいなー、と思ったんでスよ。 (text by 大塚 幸代) んで、 用意しましたのは、ゆかた用っぽい生地。110センチ幅。 160センチの長さに切って、110×160の布を作ります。 これ、東アフリカのドレス用の布、「カンガ」のサイズ。 「カンガ」は、スワヒリ語で、ことわざ・人生の教訓・メッセージなどがデザインされているカラフルな布で、「赤ちゃんが生まれたらおくるみに、普段は身体に巻いてドレスに、死んだ時も亡骸を包む」という、東
ちょっと予定を変えまして、内田のエビちゃんをネタにしたフェミニズム批判が酷いので、そちらを先に批判してみます。http://blog.tatsuru.com/archives/001731.php各所で指摘されているように、まず内田の特定のゼミでのできごとをもってして、社会一般を論じられると思うことはおかしい。しかし、ここで主張したいことはそういうことではない。むしろ、エビちゃんの人気が、フェミニズム的問題意識の後退とパラレルなものであるのか、私はこのことを疑問視したい。内田のエントリーによれば、彼等のクラスの学生は、エビちゃんを「アクセサリー的に美しい、庇護欲をそそるような女性」と定義したという。内田は、この女性像がフェミニズムと対立的なものであると主張し、このような女性像に問題を感じない学生にはフェミニズムが届いていないとする。しかし、エビちゃんをフェミニズム的ではない、男に媚びる女性
「エビちゃん」が苦手だ。ああいうキラキラしていている女性はどうもダメだ。はっきり言うと恐怖を感じる。 彼女たちは戦士である。化粧、洋服、そして会話の内容や趣味。すべてが「モテ」るための武装だ。もちろん、彼女たちは好んでそういう事をしているんだけど、何故、そういうものを好むかといえば、「大好きな自分=モテている自分」という図式があるからだろう。 あの完全武装を前に「モテ」武装が貧弱な我々は怯む。確かに可愛らしいし、素敵な格好である。さぞかし一般男性の受けはいいだろう。 でも私にとっては怖い。 「私がこんなに武装しているのに、どうしてお前はそんなに無防備なのだ。戦う気のない奴は去れ!」 彼女たちはそう言いながら、白い目でこっちを見ている気がするのだ。 彼女たちの価値観において、我々はどれだけ生きる価値のないゴミクズ野郎なんだろう。そう思うと、いたたまれない気持ちになる。彼女たちの前から、消え去
こないだ実家に立ち寄りましたところ、父親が「おい、お前の写真が出てきたぞ」と申しますので、なにかと思ったらゲゲ~! これは俺の21歳当時のアレではないか! 21歳というと、1981年。俺はもうオタクまっ盛りですよ。今より全然、見るからにオタク。つか、オタクなんて言葉は影も形もない時期からオタクだったわけです。この頃はまだデザイン学校に通っていたときだと思いますが、ぼちぼち編集とかデザインのバイトを始めていた時分でしょうか。 この写真は見ればわかるでしょうがテレビスタジオで撮られております。横に写っているのが桂三枝師匠とあべ静江さん。「桂三枝のザ・恋ピューター」というお見合い番組に出たんですよ。『パンチDEデート』のパチモンで、一人の女の子をめぐって野郎が5人くらい出てきて争奪戦を繰り広げるというやつ。 俺のミニコミ仲間の友人が、この番組で学生集めのバイトやってた。それで出たというか、出させ
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