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台北日本人学校に関するtyome_tyomeのブックマーク (1)

  • 日本の学校給食は熱い戦いだった話。 - こじらせ雑記

    未知の文化、「給」 小学校1~3年生まで台湾にいた僕は、給というものを知らなかった。 毎日母の弁当だった。父と姉と僕3人分の弁当を3年間毎日作っていた母は、今考えるとすごいな。 台北日人学校特有だと思うのだが、すぐ近所にあるマックのセットを頼んでいる人もいた。 マックの店員さんが台車に紙袋をたくさん積んで裏門から校内に入ってくる。 共働きの家庭の子がよくべているのを羨ましがりながら見ていた。 ほぼ毎日マックの子なんかもいて、そういう子は弁当がとても羨ましいらしく、ポテトと弁当のおかずをよく交換していたりしたものだった。 大人になっても変わらないが、結局ないものねだりだ。 初めての給と、狂気の「かずひこ」 3年間そんな昼だったので、初めての給は結構緊張したのを覚えている。 4年生になると同時に帰国し、小さい頃からの幼馴染のいるクラスに編入され、初めての給事件は起きた。 事件

    日本の学校給食は熱い戦いだった話。 - こじらせ雑記
    tyome_tyome
    tyome_tyome 2020/08/04
    ブログ更新しました。 食べ物の恨みは深いと言いますが、小さい頃から植え付けられているのかも知れません。
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