タグ

Booksとcommunicationに関するtyosuke2011のブックマーク (4)

  • 「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。

    よく、「日人は議論が苦手だ」と言われる。理由としては、協調を重んじる気質や自分の意見を言うのが苦手な日人の国民性が挙げられることが多い。だが、それだけではない。日人は、議論を通じて「対話」するのが苦手なのではないかと思う。 そう考えるようになったのは、Twitterで自分の記事に対する反応を見ていたときだ。記事への反応はさまざまで、賛同するものも反論するものもある。 だが不思議なのが、賛同意見は「共感した」「その通り」といったコメントが多いのに比べ、反論意見の場合「まぁこの人は○○だから」「どうせ××したことないんだろ」と人格への言及がほとんどセットになっていることだ。 反論意見は多くの場合、こういった人格への攻撃が伴う。 わたしへの反応だけではなく、他の人への反論コメントも似たようなものだ。 「ちがう意見=敵」と思ってしまうことが、「日人は議論ができない」と言われる原因のひとつで

    「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。
  • 長男の「遊ぼうって言って、断られたら違う子に話しかければいいんだよ」という言葉にいたく感心した話

    どうも、しんざきです。隙あらば風来のシレン4で浜辺の魔洞に潜り始めてしまう病気に罹患してから数年経ちます。浜辺中毒です。 長男はまだ小4なんですが、最近になって「塾に行ってみたい」と言い出しまして。しんざき奥様とも相談しつつ色々考えたんですが、折角人がやる気出してるんだし、ということで週二日で塾に通わせ始めました。 サッカーとの二足の草鞋は結構大変そうに見えるのですが、話を聞いている限りでは「学校の勉強とは全然違ってて面白い」らしいです。 時には難しい問題に突き当たって苦労することもあるようですが、人がやる気を出してる間は、フォローしつつ見守りたいなーと思っています。 で、最近、長男の言葉でいたく感心したことがありまして。身内褒めみたいになってしまって大変恐縮なのですが、ちょっと書き留めておきたくなりました。 仕事の後時間があったので、長男を塾に迎えに行った時の話です。 長男が通ってい

    長男の「遊ぼうって言って、断られたら違う子に話しかければいいんだよ」という言葉にいたく感心した話
  • 「内容のないコミュニケーション」は重要だが、時に凶悪な武器になる。

    先日、自分のブログに「内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない」という記事を書いたら、やたら反響がありました。 人間同士のコミュニケーションのなかで、「コミュニケーションの内容」が当に問われる場面はそんなに多くない。 もちろん、業務上の指示やディベートの際には、内容こそが重要になる。しかし、日常会話の大半は、コミュニケーションの内容よりも、コミュニケーションをしていることのほうが重要だ。 その典型が、「おはようございます」「お疲れ様でした」「おやすみなさい」といった挨拶のたぐいだ。 リンク先を要約すると、 「世間話や挨拶といった、内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしちゃいけない。そういうのは、コミュニケーションの内容よりも、コミュニケーションしていること自体が重要」 という話なのですが、この話は、まだ半分しか終わっていません。 ここからは、内容の無いコミュニ

    「内容のないコミュニケーション」は重要だが、時に凶悪な武器になる。
  • 「俺が理解できないのは、お前の説明が悪いからだ」と言う人々について。

    ある会社にて。 上司に「お前の説明はわかりにくい。イライラする。」と、怒られていた人がいた。 それを見て、少し思い出したことがある。 ——————- 大学を卒業し、働き始めて、最もカルチャーショックを受けたことの1つが、 「俺が理解できないのは、お前の説明が悪いからだ」 と言う論理だ。 具体的に言おう。 ある時、私の同僚が上司から「皆の前でグループの施策を説明せよ」と、言われた。 同僚は残念ながら、あまり説明がうまくない。話が前後したり、話題の大小関係も整っていない。 私は正直、よく理解できなかったので、その同僚にもう少し詳細の説明を求めるべく、質問をしようとした。 その時、上司は言った。 「全然わかんねー。おい、何を言ってるのかわかったか?みんな。」 皆、沈黙をもってそれに答える。 おそらく皆もわかってないのだろう。 上司は言った。 「最低の説明だな。もっとわかりやすく話せ。」 同僚はさ

    「俺が理解できないのは、お前の説明が悪いからだ」と言う人々について。
  • 1