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増田と哲学に関するtype-100のブックマーク (2)

  • 一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。

    「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲーム』というのは、そのヴィトゲンシュタインの作った言葉であり、論である。 そこまでは正しい。 だけど、「言語ゲーム論」というのは、「論理哲学論考」を書いたあと、「これで全ての疑問は解かれた」と宣言して田舎に引っ込んだヴィトゲンシュタインが(田舎で小学校教師をやっていた)、小学生とのふれあいの中から、自分の過去の論(すなわち「論理哲学論考」における思想)の欠陥に気づいて、その欠陥を説明するために作った論なのね。その後彼は、「哲学探究」というを出して、「論理哲学論考」が見落としていた問題について説明しようとした。それが成功したという人もいれば失敗したという人もいるが、このも20世紀哲学史に残る偉大な書であることは間違いない。

    一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。
  • 啓典宗教における神の絶対性について

    ユダヤ教ならびにその影響を受けた宗教(キリスト教、イスラム教)を啓典宗教と言います。啓典宗教の特徴は、神が唯一絶対のものであると規定しているところにあります。唯一というのは他には神はいない、ということですから、分かりやすいのですが、絶対である、ということはどういうことなのか、日人は理解していませんね。絶対と言うのはまず第一に宇宙論的存在証明における価値や原因の起点と言う意味を持ちます。政府に様々な命令権限があるのは、国民の支持があるからですね。現代では国民に価値の起点があるわけです。これが例えば徳川幕府では、将軍に権威があるのは天皇によって任命されているからであり、天皇に権威があるのは神によって国主たることを命じられているから、という理屈になります。つまりある権力組織や権力者は、自分自身では自分の権威を正当化できないのです。権威を正当化できる権威者は必ず外部にいます。そしてその外部の権威

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