ラグビー元日本代表で日本代表監督も務めた平尾誠二氏が亡くなったことが20日、わかった。53歳だった。 平尾氏は京都・伏見工業から同志社大を経て1986年に神戸製鋼に入社。日本選手権で1988年から1994年まで7連覇を達成したが、平尾は88年から90年まで主将を務め、持ち前のキャプテンシーでチームを引っ張った。 日本代表キャップは35。ワールドカップにも出場した。1998年に現役を引退。その後、神戸製鋼の総監督とゼネラルマネジャーに就任し、後進の指導に当たっていた。 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161020-00000041-dal-spo 激やせして別人のようになっていた ミスターラグビー、平尾誠二さん死去 53歳 https://t.co/qzwxyJwZyY pic.twitter.com/3Jiq2Mnu8I — 産経ニュースWEST
元プロレスラーで天龍源一郎とのタッグで活躍した阿修羅原さん(本名・原進)が28日午前5時15分、長崎県諫早市内の病院で死去したことが分かった。68歳だった。 【写真】ラッシャー木村さん(左)とトレーニングする阿修羅原さん 原さんはラグビー日本代表から転身、77年に国際プロレス入りし、海外遠征を経て78年にデビュー。作家・野坂昭如氏から「阿修羅原」と命名され、活躍した。国際プロ崩壊後は全日本に新天地を求め、87年には天龍と天龍同盟を結成。一時代を築いた。94年10月にWARの故郷・長崎大会で引退した。得意技はヒットマンラリアート、雪崩式ブレーンバスターなど。 29日午後7時から諫早市のJAながさき県央協同社小野斎場で通夜、30日午後1時から同所で葬儀・告別式が営まれる。喪主は原さんの妹・山田咲子さん。
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