武運が避けていくよな人生さ 軽巡洋艦「木曽」は、球磨型5番艦にして1921年5月4日三菱長崎造船所の生まれ。同じ球磨型の「北上」「大井」とともに重雷装艦への改装を計画していたが、太平洋戦争の開始でその機会を逸し、そのまま、通常の“旧式”軽巡洋艦として戦うことになる。 軽巡洋艦「木曽」は、重雷装艦への改装を予定していたので、滑走台もカタパルトも搭載しておらず航空機運用能力がない ……戦うことになるといったものの、球磨型姉妹の「多摩」と第21戦隊を編成して北方海域を担当する第五艦隊に所属していた木曽は、「真珠湾を攻撃した機動部隊のお迎え」「出現した敵機動部隊のパトロール」という、戦闘艦艇としてはのんびりとした任務が続く。しかし、その代わりに北の荒れた海と船体を覆う厚い氷との戦いは厳しく、木曽は激しい波浪で損傷して後方に退くこともあるほどだった。 そんな、敵より自然相手に苦しい戦いを続けていた木
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