昨晩としまえんのIMAXシアターで『ゼロ・グラビティ』を鑑賞してきた。 「映像体験は映画という概念を更新し得るレベルだが、物語はほとんど意味がない」という前評判を聞いていたのだけど、それはとんでもない誤解だ。 一言で言うと本作は重力(従来の20世紀的映画)VS無重力(3D映画)という明確な構造のもと、身寄りのない=無重力(3D)的なヒロインを生き延びさせることで (Youtube的なネットワーク化ではなく)3D化こそポスト20世紀映画であると力強く宣言する極めて映画論的な映画だった。 要するに映画の世紀(20世紀)の後に来るのは双方向化ではなく3Dだ、と。笑 そのためにはあらゆるしがらみ(人間関係から、地上とのラジオ通信、パラシュートのワイヤーまで)を断ち切ってヒロイン(3D映画)は生き延びなければならない……。反復される「切断」のイメージの意図は明白すぎる。 ヒロインがかつて事故で娘を失