2011年2月25日のブックマーク (4件)

  • グルーポンとポンパレによる仁義なき広告支配からの脱出 - 生涯未熟

    最近様々なサイト様に貼られているGoogleAds広告がグルーポンとポンパレに占拠されてると感じませんか? 「サイトの意向にそぐわない広告だ・・・」とお思いの方のためのそんな支配からの脱出法。 まず、GoogleAdSenseにアクセスし、「AdSense設定」の項をクリックします。 で、クリックすると設定画面が開きますのでこの中にある「競合広告フィルタ」の項をクリックします。 このページの下に「コンテンツ向けAdSense」「モバイルコンテンツ向けAdSense」「フィード向けAdSense」の3つの項がありますので、自分が使っている広告に合わせてその下のテキストボックスにgroupon.jpとponpare.jpの2つを入力した後で変更を保存をクリックしてください。 これで数時間すればポンパレ及びグルーポンの広告が表れなくなります。 「うちのブログは技術系のことを書いてるのになぁ・・・

    グルーポンとポンパレによる仁義なき広告支配からの脱出 - 生涯未熟
    ueshin
    ueshin 2011/02/25
    ありがとう。助かった。
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。

    BLOGOS サービス終了のお知らせ
    ueshin
    ueshin 2011/02/25
    わたしはツイッターにブログ記事のネタを吸い込まれた感じだな。ブログに戻りたい。
  • 特定しますたm9(`・ω・´) 「過労自殺は労基署にも責任」遺族ら国など提訴

    1: メトポン(秋田県):2011/02/22(火) 20:35:51.50 ID:RGcFO9Vx0● プラントメーカー「新興プランテック」(横浜市)の男性社員(当時24歳)が自殺したのは過労が原因で、長時間の時間外労働を認める 労使協定を放置した労働基準監督署にも責任があるとして、母親ら遺族2人が22日、同社と国に計約1億3000万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。 原告側によると、民間企業の労働者の過労死や過労自殺を巡り、国の監督責任を問う訴訟は初めてという。 訴状によると、男性は入社2年目の2008年11月に自殺。同年3月~8月の時間外労働は月平均約140時間と過労死の認定基準(月80時間超)を大幅に上回り、 同月には精神障害と診断された。千葉労基署は10年9月、労災認定した。 同社は08年3月に時間外労働を最大で月200時間とする労使協定を締結して同労基署に届け

    ueshin
    ueshin 2011/02/25
    労基署を訴えるという手があったんだ。もっとやってくれ。
  • 「認識の変換のトレーニング」にブログを読み続けるのは向いているかも - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

    ちきりんさんのが出ている。 ふと思うが、ここ1年くらい、毎日必ずちきりんさんのブログを確認して読んでいる。余裕がある時は、過去の記事を少しづつ読む。一気には読まない。飽くまで、毎日少しづつ、ずっと。そういうブログがいくつかある。ふと思うと、「を読む」という行為よりもこっちの方が、「濃い行為」のような気がする。漫画でも連載を追う方が、アニメでも毎週楽しみにしてみる方が、一気に見るよりも深い余韻や記憶を齎すように。 を読む目的には、「情報摂取」と「認識の変換のトレーニング」の二つがあると僕は思っている。情報を集めるのはひたすら多読。そんで読み捨てる。二度と読まない。事実や「見方」だけ手に入れば、それで十分。 対して、「認識の変換のトレーニング」の場合は、は何度も読み返すし、気に行ったフレーズを書きぬいて、何度も読んで暗記しようとする。これ半年ぐらい気で暗記し続けて、自分の話し言葉の中

    「認識の変換のトレーニング」にブログを読み続けるのは向いているかも - 物語三昧~できればより深く物語を楽しむために
    ueshin
    ueshin 2011/02/25
    主観のバケモノから脱すために他人の見解をとりいれる。納得。本やブログのような他人の主観にふれる経験の大切さ。