野村総研のレポートのおかげで、ええ年をしたおっさんまでもが「萌え」なる言葉に注目するようになってきた。偉い話である。 どのぐらい偉いかというと、信用金庫の営業さんの耳元で「萌え」とささやいたら「融資しましょう」などという言葉が口から飛び出してくるぐらい大変なことなのだ。 んで、ちょっと通ぶった人は、「萌え」つーたら「『妹』がね…」と一般人に講釈垂れようとするのだが、「妹」はもう時代の先端ではない。現在はどっちかっつーと「姉」時代らしい。 こういう変化が生まれた背景というのは実に簡単で、要はオタどものマグロ化傾向がさらに悪化しただけのことなのだ。「妹」つーのはありていに言えば「この(キモイ)自分から逃げられない異性」だった。世のお兄ちゃんどもは、この少女の逃げ場を奪った上であーたらこたらしよう、と妄想を膨らませていたのだが、最近ではどうも「逃げ場を奪ってあーたらこたら」さえ面倒になってきたら