タグ

ブックマーク / doramao.hatenablog.com (9)

  • 「白砂糖は危険な魔薬?」トンデモ食育の罠 - とラねこ日誌

    (この記事は2008年11月に今は無き旧ブログどらねこ日誌に掲載したものを元に新規に書き起こしたものです) ■砂糖のべ過ぎやめさせたいけど 砂糖は甘くて美味しいですよね。ですけれど、べたあとに口をゆすがなかったり、そればっかりべれば虫歯になる危険性が高くなりそうです。また、砂糖をべた後の満足感から事を控えてしまえば、身体を成長させるための栄養素が十分にとれなくなってしまう可能性もある事でしょう。 何事もほどほどに・・・なのですが、美味しいがゆえについつい手が伸びてしまうわけで、子供の健康を心配する親御さんとしてはビシッと明確な理由で子供の砂糖摂取を止めたいと思うのはごく当たり前な心情なんじゃないかなと、どらねこは思います。そうしたニーズのせいか、砂糖については危険性を過剰に煽る系の言説が未だに教育現場や子育てママさんの間に出回っている現状があります。 学校で行われる育にも、砂糖

    「白砂糖は危険な魔薬?」トンデモ食育の罠 - とラねこ日誌
  • 欠如モデルがわからない - とラねこ日誌

    どらねこは欠如モデルと謂うコトバに対し色々とモヤモヤしております。そのモヤモヤをなんとなく書いてみます。まぁ、個人的なモヤモヤなので逸脱についてはご容赦を。 ■モヤモヤ 最初のモヤモヤはある科学コミュニケーションについて勉強していたとされる人物が『欠如モデル』について説明した文章を読んだときに感じたものです。それは次のようなニュアンスの物でした。 知識豊富な教師が無知な子どもに対して知識を提供する学校の理科の授業のようなもの これが科学コミュニケーションを学んだ方が想定する欠如モデルの共通認識なのかは知りませんが、小学校教育が欠如モデル的なものだとしたら、それは小学校教育をバカにしているのか、欠如モデル自体、案外スジが良いものであると謂う事なのかも知れません。 当たり前の事を書きますが、初等教育は一般的な児童の発達状況や情報操作の特性などに配慮しつつ、一人一人の状況を見ながら、基は守りつ

    欠如モデルがわからない - とラねこ日誌
    ukeye
    ukeye 2011/11/19
    科学コミュニケーション
  • やすみたいときにやすむことってだいじだよね? - とラねこ日誌

    どらねこが考えていることをダラダラと書いてみました。統計的差別など社会科学的な話も含まれているように思いますが、べつに精度の高い話や議論などを求めての文章じゃないので、その辺はどうぞご理解下さい。 ■有給休暇大好き このブログの愛読者(おそらく数名)の方はご存知かと思いますが、どらねこは怠け者です。例えば、1ヵ月仕事がお休みになって外出禁止と謂われてもさほど苦痛にならないくらい怠け者です。基的にお金が有れば別に仕事をしたいと思わないタイプです。必要が生じて仕事をしてるんですね。なので、休める状況ならなるべく多く休みたいわけです。 そんなどらねこが大好きなのが有給休暇です。業務の都合にもよりますが、好きなときに与えられた数の休暇をとることのできる、たいそう有り難い権利です。 そんな素晴らしい休暇ですが、以前はそれほど沢山はとりませんでした。どうしてだったのかと考えると、学校で教えていたから

    やすみたいときにやすむことってだいじだよね? - とラねこ日誌
    ukeye
    ukeye 2011/11/03
  • 肥満傾向と痩せ傾向のトレンド - とラねこ日誌

    子どもの肥満が増えていると謂う誤解がいまだにあるようです。そんな誤解がなるべく少なくなればいいなぁ、と以前からこどもの肥満は増えていないよ、と謂うエントリをどらねこは何回か書いていたりします。 肥満はやっぱり減っていた http://d.hatena.ne.jp/doramao/20100226/1267187272 上記のエントリでは、平成13年頃までは肥満傾向児は増加傾向であったが、それ以降は減少傾向が続いていることをデータで示しました。 今回は平成18年から最新の平成22年までの結果と、肥満傾向だけでなく痩身傾向についてもグラフ*1で示してみました。なお、グラフに対するコメントはどらねこの主観ですので、どうぞご了承下さい。 ■肥満傾向児の動向 小学生の傾向をグラフから見てみましょう。 肥満傾向児は年々少なくなっている傾向にある事は明らかですね。 次に中高生を見てみましょう。 男子女子

    肥満傾向と痩せ傾向のトレンド - とラねこ日誌
    ukeye
    ukeye 2011/10/25
  • 震災後の社会不安に役立つ(?)社会心理学の知見 - とラねこ日誌

    御用学者と謂うレッテルや、科学者対市民のような構図が意図的かどうかまではわかりませんが、つくられている事について、どらねこは色々と懸念をしております。ただ単に心配性なだけかも知れませんが、集団の心理やレッテルの威力を考えるとどうしても不安に思ってしまうのです。こうした状況は異なる集団間の葛藤を生み出しますし、集団の外にいる人間が述べることは信用ができないと考えてしまいがちです。震災後の復興では、私たちは互いに協力し合い、現実的な対応を行っていかなければならないと思いますが、信用のできないと考える相手との作業には、機会費用が多くかかる事がしられており、このような高コスト体質はその妨げになると考えられます。相手を信用するために担保が必要となるからです。問題をおこしたときの罰則を厳しくする事、第三者の検証を増やすことで手続きが煩雑になる事などなどです。こうした問題は見逃されがちですが、非常に重要

    震災後の社会不安に役立つ(?)社会心理学の知見 - とラねこ日誌
    ukeye
    ukeye 2011/10/09
  • とどけたいことば - とらねこ日誌

    大変な状況だからこそ、お互いの事を信頼し、前向きな遣り取りが出来る事をどらねこは願っています。そんな気持ちで思うところを正直に書いてみました。 ■ボクたちはそんな風に社会化された 小さい頃、『知らないおぢさん(人)についていってはイケナイよ』、そんなふうな話をされた記憶があります。知らない人が全部アブナイわけじゃない、中にはイイ人もいるのかもしれないけれど、知ってる人よりアブナイことはたしかです。子どもにはその人がアブナイ人なのかイイ人なのかの判断はとても難しい。だから当はアブナイおぢさんじゃないのかもしれないけれど、知ってる人より知らない人のほうがアブナイのは事実だから、知らないおぢさんにはついていかないように、と教えることでリスクの回避を図るわけですね。でも、それってつまり、そう教えないと子どもは知らないおぢさんにでもついていくってことだよね。じゃあ、どうして知らないおぢさんでもつい

    とどけたいことば - とらねこ日誌
    ukeye
    ukeye 2011/09/03
  • 不適切な行為に不適切な対応 - とラねこ日誌

    まだ自分のアタマの中でしっかり纏まっていない状態なのですが、皆様からの指摘なども頂けることもあるかも、と思い記事にします。読み手のことを意識しないような書き方になっている部分が多いと思いますがご容赦を。 ■前提 まず、どらねこは虐待を減らしたい。そして自分の中の虐待に親和的な部分を深く理解することで抑えたい。そんな気持ちを持っています。 そして、全体としての虐待を減らす(予防する)ためには、貧困対策だとか、啓発事業であるとか、母親の負担軽減とか色々と考えられると思います。これらは当に大切で、その事はしっかりと訴えて行かなければならないものの、個々人があーだこーだいっても、急にかわるものではありません。じゃあ、個人のネット活動の範囲に於いてすぐ出来ることって無いのかな?そんな事を考えているわけです。そうして考えていると、子どもに対する自覚を持たない不適切な行為について、その指摘を行う事が大

    不適切な行為に不適切な対応 - とラねこ日誌
    ukeye
    ukeye 2011/08/27
  • 悲嘆と呪術的思考(医療訴訟など考えながら) - とラねこ日誌

    ■喪失体験と呪術 大小は様々ではあるものの、ヒトは生きていくうちに喪失体験を何度も重ねていくと思います。手術により何らかの機能を損なうこと、親しい人との別離、ペットとの死別、親や子どもを失う事・・・ 喪失体験により様々な哀しみが当事者を襲い、それは悲嘆と謂う言葉で説明されます。悲嘆の感情は通常、時間と供に変化をしますが、その変化のことを悲嘆のプロセスと説明されます。この悲嘆のプロセスとして、多く観察される症状(行動)の中に次のようなモノがあります。 それは 【自責感】 と 【不当感】 です。 前回のエントリで、どらねこは努力と願いの呪術性について乱暴な考察を行ったのですが、喪失体験を切っ掛けにして現れるこれらの症状にも呪術的なモノが大きく関係しているように思います*1。 ■自責感と不当感の呪術性 大切な何かを失った瞬間は真っ白となり深く考える事が難しい状態になることが多い事が知られておりま

    悲嘆と呪術的思考(医療訴訟など考えながら) - とラねこ日誌
    ukeye
    ukeye 2011/08/19
    なぜか化物語の撫子を思い出した
  • 文化や科学の進歩がヒトの進化と混同されてる?

    近頃の若い子はスタイル良いよね。 こうした話を振られると、どうしても戸惑ってしまいます。 もしかすると、ただ単に自分の世代の平均的体型と若い世代の違いを見て驚嘆しているだけかも知れませんが、その原因について思いを馳せながらのコトバであるなら、どらねこは身構えてしまいます。 成長期の栄養状態の違いからこのような差が生まれたんだろうな、という風に思っているのでしたら良いのですが、日人の遺伝子が変化したため、と考える人も意外といらっしゃるので、びくっとしてしまうのです。 生き物は外部環境の変化によっても、表面上の形態や特徴が変化することが知られております。遺伝的な形質は同じであっても現れる表現型は、周囲の環境によっても影響を受ける事があるからで、これは進化ではありません。周囲の環境が広範囲に同時に同じような変化が起こったとすれば、そこに住む集団に同じような変化(例えば身長が高くなる)が現れても

    文化や科学の進歩がヒトの進化と混同されてる?
    ukeye
    ukeye 2011/07/04
  • 1