榎本喜八(1955−1972)<毎日オリオンズ(大毎オリオンズ・東京オリオンズ・ロッテオリオンズ)→西鉄ライオンズ> 1936年12月5日、東京生まれ。 早実高で甲子園の土を3回踏む。しかし、プロから誘いの声はなかった。プロ野球選手になることが夢だった榎本は、仕方なく先輩の荒川博が居た毎日オリオンズのテストを受ける。テストでの打撃を見た別当薫は、その素質を見抜き、入団を認める。榎本が入団した昭和30年当時、別当は外野手を務めながら監督も兼任していた。当時、毎日オリオンズの一塁手には西本幸雄、三宅宅三などがいたが、年齢的に限界がきていた選手ばかりで、高卒の榎本が1年目から打率.298、16ホーマーを放ちレギュラーを獲得する。いきなり山内和弘(昭和37年に一弘と改名)とクリーンアップを組むことにもなり、その年の新人王は文句のない受賞だった。 榎本は奇人変人と言われている。彼は2000本安