風評被害で離農した農家。かつては首都圏にも沢山の作物が出荷されていた。 福島が3年間向き合い続けてきた現実から、多くの方は余りにも目を逸らし続けてきたのではないかと私は感じる。都合の悪いものを全てフクシマに閉じ込めたまま、正面から向き合う事無く闇雲に恐れるだけであったり、他人事の様に忘れていたり。あるいは原発の再稼働か反対か、そればかりしか見ていなかったのではないか。 多様な価値観や判断が共生を余儀なくされていながらも、地道な努力とデータの積み重ねで、安全性と危険性双方に様々なノウハウの蓄積が進む県内。それに比べて震災直後から何も変わらず風化する県外。その議論の時差は広がる一方だ。話は益々かみ合わなくなる。 原発事故は確かに凄まじいインパクトだった。これからどうなってしまうのか、誰にも判らない恐怖が当時日本中を包んでいた。 そんな中で当然のように脱原発運動も盛んになったものの、県外のそれは