翻訳者には、それぞれ固有の文体があり、原書となるオリジナルのテキストに対して、翻訳者の文体がどのように作用していくかということが、翻訳された作品の印象を決める要素のひとつになるようにおもう。村上春樹の場合、フィッツジェラルドやサリンジャーの作品世界と、村上の文体はとてもよくなじんでいたという印象を持ったし、繊細な手つきで、テキストは日本語に置き換えられていたと感じた。「ギャツビー」や「ライ麦畑」とは違い、ささくれだった感触のあるチャンドラー作品を、村上がどう訳すのかは、とても興味があった。 「ロング・グッドバイ」が刊行されるすこし前に、わたしは同書を、先行する清水俊二の訳(「長いお別れ」)で読み直しておいた。読むのはひさしぶりである。ストーリーを追いながら、「マーロウって余計なことばかりするんだな」という、いささか間の抜けた感想を持った。作品の主人公であるフィリップ・マーロウは、とにかく口
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