ニコ動より転載。 昭和20年代の買出列車ではありません。昭和35年、高度成長真っ只中の首都圏の通勤風景です。まさにムンバイやジャカルタ並です。 もともとはyoutubeにありましたが、アップロード者のアカウントが削除されていたのでニコ動から逆輸入しました。
インド最大の都市ムンバイには、インド国鉄のセントラル・レイルウェイとウェスタン・レイルウェイがそれぞれ複々線の線路で近郊電車を運行、通勤輸送の大動脈となっている。広軌1676mmの線路を走る電車の車体幅は約3.6メートル、日本の新幹線より約200mm広く、12両編成の電車が線路別に各駅停車と急行として運行され、朝夕のラッシュ時にはそれぞれ4~5分間隔でやって来る。住宅事情が悪く家賃が高いムンバイでは、この電車で1時間以上かけて遠距離通勤する人も少なくない。 転落事故は乗客の自己責任 冒頭の写真をご覧になって、日本の電車とは決定的に違うことがおわかりいただけるだろう。ムンバイの近郊電車はドアが開けっ放し、多くの乗客が戸口から身を乗り出しているが、転落事故は乗客の自己責任である。 日本でも30年くらい前までは、機関車牽引の客車の一部はドアが手動の開き戸であったが、このように混雑する電車は自動ド
物々交換で経済が成り立っていた古代の日本では、米や塩、布などをお金の代わりとして使用していました。国内で初めてつくられた金属のお金(銭貨(せんか))は、7世紀後半、中国の銭貨を手本にした「富夲銭(ふほんせん)」とされています。 さらに和銅元年(708)には武蔵国秩父郡(むさしのくにちちぶぐん)(現・埼玉県秩父市)から国内で初めて自然銅が発見され、「和同開珎(わどうかいちん(ほう))」を鋳造しました。この「和同開珎」以降、平安時代まで2世紀半にわたり12種類の銭貨がつくられました。これら12種類は「皇朝十二銭(こうちょうじゅうにせん)」と呼ばれています。 しかし、国内産の銅が不足したことや国家の財政難から、銭貨は新しく発行されるたびに質が落ち、民の信用を失います。結果、国内での鋳造は天徳2年(958)の「乹元大寳(けんげんたいほう)」を最後に打ち切られ、再び米や絹などがお金の代わりとして使わ
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